Hello! 今日から4回シリーズで私の英語勉強法の歴史をご紹介したいと思う。
最初に言っておくが、TOEIC満点とか、英検1級を目指す人の参考になるものではない。
これは、あくまでも私がどうやって今まで英語と関わってきたかということを羅列しているだけのものである。でもここから、ヒントを得て、自分なりの「何か」をつかめるかもしれない。
信じるか信じないかは、あなた次第です。笑
まず、英語との出会いは、小学3年生の頃だ。
近所の子供英語教室に通っていた。
「ジャックランドのたのしい日曜日 Let’s speak English!!」という教材を使って、歌を歌ったり
I like ice cream! アイスクリーム、好き!
なんていう表現を習う、楽しい時間だった。
何よりもこの教材が大好きで今でも大事に持っている。

また、母がカーペンターズが大好きだったので、レコードをかけてくれていた。
SING
を聞くと今でもじーーんとくる。洋楽との初めての出会いだった。
中学も英語は、好きだった。NHKのラジオ基礎英語も聞き始めた。
英語好きな私が、高校で一気に英語が苦手になった。
それは高校2年の時の、愛川欽也に似ていて「キンキン」と呼ばれていた英語文法の先生のせいだ。
キンキンは、教科書1ページ分にびっしり書かれている、英語の文章を宿題として出してきた。
その内容が、「意味は調べなくていいから、全ての単語の品詞分けをしなさい。」というものだった。
これは、例えば、
I like an appleであれば、
代名詞/動詞/冠詞/名詞
という品詞を単語の下に書いていくというものだ。
改めて言うが、意味は、調べなくていいのというのである。
キンキンとしては、それを繰り返し、英文法を身につけさせたかったんだろうが、全くもって楽しくなくない。
その頃から英語が嫌いになってきた。

モイヤー先生というアメリカ人の先生が来て、キンキンと会話をするのだが、皆、恥ずかしがって話そうとしない。
キンキンは、Everybody! Hands up! Speak up! 皆、黙ってないで、手を挙げて、話しなさい!
とにやにやしていう。それも嫌いだった。
そんなわけで、私の人生には、英語は必要なく、旅行も高校生のくせに国内の温泉で十分なんて思うようになった。
そんな私が、英語に目覚めたのは、短大の時だ。
その当時、私は、スポーツレポーターになって、大好きな西武ライオンズの選手をインタビューしたいと、日大芸術学部合格を狙って、進研ゼミで真剣に勉強していた。
通称「日芸」は、ユニークな試験方法で、2次試験では、論文もある。
論文対策も取って勉強していた。
しかし、論文を書く前にあっさり1次で落ちた。

もちろン1次試験には、苦手な英語も入っていた。
浪人したかったが、家庭の経済状況も苦しいのもあり、滑り止めで受けていた短大の英語学科に行くことになった。
全然、夢と違う方向になり、ネガティブになっていた。
しかし母が、
「どんな環境でも、ちゃんとした教授がいて、きちんとした授業を提供するんだから、甘く見ずにしっかりやりなさい」と言った。確かにそうだ。
学費だって高いわけだし、これは、自分の実力を知らずに甘かったと反省した。
そんなわけで、短大入学の時は、スイッチを切り替え、もうやる気満々になっていた。

さあ、どうやって変化していったのか?
続きは、また次回としよう!
無理やりまとめると、今日の学びとしては、
「まずは歌や、本など英語が好きになる題材を探そう」
ということかしら?
というわけで、またね!
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コメント
キンキンの品仕分け一筋⁈な勉強…強烈。
勉強はHOWも大事だけど、方法論の相性とか、楽しんで学べる仕掛けとか、最初のつかみは大事だよな〜
先生との縁とタイミングで、英語嫌いにもなるし、好きにもなれたり、教える立場って影響力凄い。
私は中学の英語の岸先生に出逢えてよかった思い出。リピートアフターミーを連発して、とても大袈裟なリアクションでのフレーズ習得法。当時はバカにされるような感じだったけど、初めての外国人との会話にとても身になるものだった。
連絡先が分からないのが残念だけど再会できたら感謝を伝えたいと思っている先生!
投稿ありがとうございますーー!!いやー、先生本当に大事!でも受験英語とかで追われるとそうなっちゃうのかなーー。今まで、先生のおかげで好きになったものってこうやって一生関わってくるから、先生は大変だーー。岸先生、再会したら、絶対その気持ち伝えてねーー!