ボンジュール!
先日、「独学 私の英語の勉強法基礎編」を4回シリーズでご紹介した。↓

応用編も紹介する予定だがその前に、フランスに1年いた私は、
「フランス語をどうやって勉強したの?」
という質問を皆様から多く受けた。
今日は、そんな私とフランス語について、ちょっと歴史をご紹介したいと思う。

まず、英語という他言語をある程度習得でき、勉強法も自分自身で試行錯誤しながら模索していたので、「全く話せないレベルからある程度話せることができるレベル」までは、フランス語に関しては英語よりもずっと早く到達したと思う。
これは、英語とフランス語という言語がそこまでかけ離れてないからということが大きな要因であると思う。
だから、ロシア語とかアラビア語を1から勉強するとなると、ちょっと違うかもだ。
フランスにワーホリを申請したのは、2002年。
まだ、始まったばかりで、人数制限があった。
ビザの審査に「動機作文の提出」というユニークな方法を採用していた。

フランスに滞在するにあたって、申請者の滞在目的を明確化させ、趣旨に沿わないとビザの発給許可が出なかったのだ。
さすが、フランス人の考えることだ!面白い。
そんなわけで、行けるかどうかもわからなかったので、その時点では、フランス語を勉強していなかった。
いざ、ワーホリビザフランスを取得してから、お尻に火がつき、フランス語を勉強し始めた。
半年後にフランスに私はいるという想定。
その間に、添乗員でフランスに行く機会が数回あった。
これは、本格的な滞在の前に、フランス語を試せる舞台がある。

よし、急げ!勉強するぞ!
とまずは、Bonjourボンジュールから始める。
さあ、ここで私の秘密兵器登場。
またもやNHKラジオ講座である。
フランス語の場合は、週に3回の月、火、水曜日が基礎編、木、金曜日が応用編になる。
6か月コースだ。
そこで、2回分、つまり、1年分の過去のフランス語講座のテキストとCDを買った。
基礎編のみ1年分を半年で一気に勉強した。

CDの発音をまねて、繰り返し、文を暗記し、いつもの毎日、コツコツだ。
そしてボキャブラリーを叩きこんだ。
また、「旅の指さし会話帳」は、絵も可愛くて、今も大事に持っているが現地でも行く前の学習でも愛用した。

その間に、添乗先のフランスで、ドライバーさんに
il fait froid「寒いねー」とか
J’ai faim「お腹空いたねー」
などのレベルで話しかけてみて、良い反応をしてくれたので、
おっ!これならいけるかも!
と感触をつかんだ。
フランス語の数字は、ちょっと複雑だ。

80は、4×20
72は、60+12
というように独特な規則がある。
これを覚えるのにちょっと面白いことをした。
海外添乗員の時、観光バスに乗ることが多いが、添乗員の特権で1番前に座れる。
その座席から前を走っているたくさんの車がよく見える。

海外は、4車線になることもあるので車の数は膨大だ。
観光が終わり、ガイドさんの案内も終わる。
帰り道は、お客さんは、ゆりかごお休みタイムだ。
というわけで、私はその時間を使って、目に入ってくる車のナンバーをフランス語に数字にする練習をした。
追い越し車も多い地域となると、瞬発力が必要になる。筋トレのように訓練した。

これにより、半年で、なんとなーーく、超最低限の力がついたと思う。
しかし、実際にフランスにきたら、やはり大変だった。
最初に泊まったユースホステルの部屋番号が「4」quatreなのだが、発音が悪くて通じない。
車のナンバーの日々はなんだったのかとむなしくなる。
語学学校に通ったのだが、最初は私立の学校に行った。
バレリーという女性の先生が、全員日本人の生徒3人の私達にじっくり教えてくれた。
バレリーは、日本にもとても興味があり、逆に私達は、色々な質問をされた。
そしてしょっちゅう、On fait la pause! と言う。
「休憩しましょう!」だ!
文法をここできちんと身に着けた。

フランス語は、私の勝手な印象なのだが、難しい言葉になればなるほど、英語に似ている言葉が多い。
文法用語も英語に似たものが多かったので、なんとなく予測がついた。
フランス語の難所は、なんといっても動詞の活用だ。
よく使うものに限って、主語によって活用が変わるので、とにかく覚えることに集中しなくてはならない。
また、ご存じのように、男性、女性名詞もある。
これも大変だ。

毎日、学校の宿題に追われる。
家に帰ったら、勉強。
家は、サザエさん一家のクリスティーンやクロウドが待っている。
彼らは、英語は、全く話せない。
朝、テンションが上がらなくても、キッチンで会えば、ボンジュール!だ。
この強制力がきっと大事なのだろう。
日記もつけ始めた。
英語の時と一緒だ。
何を感じ、何が今日あったのか、一行でもいいから書く。
町では、旅の指さし会話帳を広げて、レストランの外にあった黒板を見ながら、メニューを調べていたら、「おー、その本可愛いね」と声をかけられたこともあった。

そんな日々を3か月ほど過ごしていた。
ある日、英語で話していたフランス人の友達がいたのだが、彼が近くにきたというので、お茶をした。
その時、私が「今日は、フランス語だけで話したい!」と申し出た。
そして2時間ほど、楽しい話しができ、褒められた。
あと、私くらいの年齢なら、セシールのCMをご存知の人も多いと思う。
最後に、フランス語でモニョモニョ言っているのが、子供の頃、気になったのだが、それが聞き取れて、嬉しかった。
“Il offre sa confiance et son amour”「愛と信頼をお届けします」だ。
そんな感じで、通っていた私立の学校は、3か月で終了した。
次に、家の近くのモンペリエ大学の中にフランス語を学べる外国人用のクラスがあり、学費も私立の半分以下だったのでそこに通うことにした。
日本人3人の少人数から、多国籍15人のクラスになり、ここでは、またぶったまげる経験もするのだが、それはまた次回に。
ここまでが、まず、フランス語の少しできるところになったまでのお話しでした。
A bientôt (またね!)
続き↓
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