仏壇の処理<閉眼供養>をした話しとサッカーワールドカップの話し。Letting Go of Our Buddhist Altar(English follows)

English

先日、仏壇を処分した。

私は元々、お墓や仏壇にこだわってない。

宗教観は、個の価値観と一緒で人それぞれだ。

祖母が祖父を亡くしてから傷心し、仏教に救われた。

そこからお墓にこだわり過ぎた為に、その後、母や叔母たちがとても苦労した。

それにこりごりしていていた母は、ことあるごとに親の価値観を子供に押し付けてはならないと言っていった。

母が亡くなる前も、お墓や仏壇はいらないと話していた。

母の事が大好き過ぎた父は、母が亡くなった悲しみから立ち直れなかった。

私はオーストラリアに住んでいたのだが、ある日、実家に帰ったら、立派な仏壇があった。

父が、いくらを費やし、どのように購入したかは定かではなかった。

場所を取るし、いらないなーなんて思っていたが、チーン、チーンって、仏壇に向かって手を合わせて祈っている父の姿を見て、宗教って心の拠り所であり、父に取って必要なモノなんだろうなって思った。

その父も亡くなって、8年。

ずっと仏壇の扉を閉めていて、私にとっては、ただの大きな家具になっていた。

ある日、粗大ごみを捨てようと、区のサイトを見てたら、「仏壇」という項目を見つけた。

仏壇って捨てれるのかな?と思い、急に物凄く処分したくなった。

夜中だったのだが、いてもたってもいられなくなり、色々調べ始めた。

気づいたら、朝4時になっていた!

そして、「閉眼へいがん供養」をすれば、処分できることがわかった。

閉眼供養(へいがんくよう)とは、お墓や仏壇、位牌などに宿っているとされる故人やご先祖様の魂を抜き取り、対象物を単なる「ただの石」や「ただの物」に戻すための仏教儀式です。

AIに聞いてみた。

****

結論から申し上げますと、「ご本尊を処分すること」自体は、決して悪いこと(不謹慎なこと)ではありません。

仏壇を閉じたり、住環境が変わったりする際に、ご本尊を適切に手放すことは、現代ではごく一般的に行われています。ご本尊は「単なるモノ」ではなく「阿弥陀如来という仏様」ですので、「捨てる」のではなく「お返しする」という考え方を大切にします。

これまで家庭を守り、心の拠り所となってくださった阿弥陀様に感謝し、儀式を経て元の場所(お寺など)へお帰りいただく、という捉え方をします。

仏教の教えでは、仏様が人を呪ったり、処分したことでバチを当てたりすることは絶対にありません。そこは安心して大丈夫です。

****

これで一気に心は決まった。

本尊ほんぞんと言われる、お釈迦様と過去帳、位牌を菩提寺に持って行き、お経を唱えていただいた。

たましい抜き」という儀式なのだが、この3つに宿っているとされる、魂を僧侶の読経によって抜き取り、ただの「物」へと戻してもらう。

こうして仏壇自体は、ただの「家具」になるそうだ。

無事に魂抜きをしていただき、弟と一緒に粗大ごみに出した。

仏壇の大きさは、高さ150cm、横68cmとなかなかな大きさだ。

父の心の支えになってくれた感謝を込めて、最後は手を合わせてお別れした。

こうして、ずーーーっとなんとなく心の負担になっていた、仏壇の処理ができ、家の中が一気にすっきりした。

両親の写真を飾るスペースを設けて、これが私の仏壇のようなものにした。

このタイミングで、25年くらい使っていた、部屋の照明も寿命を迎えた。

この照明も、我が家の色々な時代を照らしてくれた。

感謝を込めながら、粗大ごみに処分した。

新しい照明を購入し、部屋が一気に変わった。

気持ちも物凄い一新された。

やっぱり断捨離って大事!

最近、地震も多いし、このタイミングで色々、整えられてよかった。

改めて、それぞれ、心の拠り所いうものが必要だが、大事なのは、個人個人が亡くなった大事な人を心の中できちんと供養して、思う事なんだなって思っている。

そんな父が亡くなったのは、2018年のワールドカップ決勝戦だった。

4年前の2018年7月、フランスvsクロアチアの決勝戦は、父がもう危篤という中、病室で試合を見た。

フランスが優勝して、ワールドカップを空に掲げた瞬間に金色の紙吹雪が舞った華やかな舞台と、父が生涯を終えようとしている、その対照的な状況がなんだかシュールで、おかしかった。

これからは、ワールドカップが来るたびに、父が亡くなって、4年だな、8年だな、12年だなーって思い出すことになるんだろうなーと思っている。

“Mutsi (ムッツィー)の世界探検隊より

今年は8年。

2026年のワールドカップも盛り上がっている。

日本チームは、決勝トーナメントでブラジルに残念ながら負けてしまった。

前半リードしていた分、アディショナルタイムで負けたのが本当に悔しい。

今回は、選手皆が、「優勝」という言葉を口にしていた。

最初聞いたとき、まさか、まさかーなんて半笑いしてしまったが、言霊ってすごい。

半笑いした事を謝罪したくなるような予選の戦い方だった。

そして、選手1人1人、とても礼儀正しいし、ほとんどが海外リーグで活躍している。

ドーハの悲劇をテレビの中継で見て、負けた瞬間、ゴン中山と同じように部屋で倒れこんだ自分を思い出しながら、日本のサッカーって本当に飛躍的に強くなったなと思う。

若い人達もたくさん応援しているし、なんだか、日本もまだまだ明るい未来を期待していいんだなって思った。

日本は負けてしまったが、まだまだ他の国の試合を楽しみながら、父の事を思い、命日をまた迎えたいと思う。

本日の<思い出ブログ>は、2年前の2024年の母の命日の事を紹介したいと思う。

合掌。

I recently decided to let go of my family’s Buddhist altar. I never had strong religious beliefs, and my mother often told me that parents should not force their values—especially about graves or altars—onto their children.

My grandmother became devoted to Buddhism after losing my grandfather, and her strong attachment to the grave caused a lot of hardship for my mother and aunts. Because of that, my mother always said she didn’t want a grave or altar. When she passed away, my father—who loved her deeply—couldn’t recover from the grief. One day, when I returned from Australia, a large altar was suddenly in our home. I didn’t know how he bought it, but seeing him pray in front of it made me realize it had become his emotional support.

My father passed away eight years ago. Since then, the altar had been closed and had become just a big piece of furniture. One night, while checking the city’s website for bulky waste, I noticed “Buddhist altar” listed. I suddenly felt a strong urge to finally deal with it. I researched until 4 a.m. and learned that I could dispose of it after performing heigan‑kuyō, a ritual to release the spirit.

I brought the family buddha, the memorial tablets, and the family record book to our temple. The monk performed the ritual to “release the spirit,” returning everything to a simple object. After that, my brother and I disposed of the altar as bulky waste. It was quite large—150 cm tall and 68 cm wide. Before letting it go, I thanked it for supporting my father.

The house felt instantly lighter. I created a small space to display my parents’ photos, which has become my own simple version of an altar. Around the same time, the room’s light fixture—used for 25 years—also reached the end of its life. I thanked it too and replaced it with a new one. The room changed completely, and so did my feelings.

Decluttering really matters. With all the recent earthquakes, I’m glad I took this chance to reset my space and my heart. I realized again that everyone needs their own way of remembering loved ones—not through objects, but through the heart.

My father passed away during the 2018 World Cup final. Every four years, when the World Cup comes, I naturally think, “It’s been 4 years… 8 years… 12 years…” This year marks eight years. As I enjoy the 2026 World Cup, I’ll remember him and quietly honor his day.

タイトルとURLをコピーしました