Hello!
22歳の時に、1年間のオーストラリア滞在を終えた。
ある程度は英語はできたけど、まだまだx1000だなと痛感して、日本に帰国した。
その後、外国のクルーズ船で働き、英語を使って働くことができたが、まだ私が理想とする英語力には達してなかった。
それでも、全く英語を話せない人からみれば、私は、ペラペラに見える。
銀座のデパートでバイトをして、外国人のお客さんがくれば、「Mutsiさーーん、お願いしますーー」と
呼ばれ頼られる。
でも、目標には到底届かない実力なのである。
海外添乗員では、色々な国で、現地の言葉をペラペラ話している日本人ガイドさんに出会う。
皆さんにどうやって現地の言葉を身に着けたか聞きまくった。
そこで、読解力って大事だなと思い、英語圏では、本屋さんによく行って、子供用の本を買ってみた。
特に、「大草原の小さな家」シリーズは、小さい頃、日本語でも読んでいて、親しみもあったので、よかった。
また、町においてある、フリーペーパーや、新聞、機内誌など英語で書いてあるものを持ち帰り、日本でも英語に触れる機会をできるだけ作った。
これは、今なら、インターネットの普及というありがたいものがあるので、たくさん教材が溢れてうらやましい限りだ。
ヨーロッパに添乗でいくと、ツアー代金を安くしている関係で、要所要所の観光地ガイドさんが、日本語ガイドではなくESG(English Speaking Guide) と言われる、英語を話すガイドさんに代わる。
彼らが話す英語を私が訳さなくてはならない。
スペイン、イタリア人の話す英語は、訛りが独特なので大変だ。
また観光地の案内も、ヨーロッパは、キリスト様のお話しがベースになっているものがほとんどだ。
教会の話しも、イエスキリストの生涯を知っているのが前提での説明になるので、無知だたった私は最初、訳がわからなかった。
ジーザスってイエスキリスト様の事だったのかーーなんてそのレベルからだった。
なので、また帰りの空港で子供用の英語の聖書の絵本みたいのを買って帰った。
また、世界史も、日本語で勉強したので、英語の単語がわからない。
知らない単語は聞き取れない。
そんなわけで、分厚い、子供用の世界の歴史の図鑑も買った。
何事もまずは子供レベルが1番だ。
こうやって、仕事でやらざるを得ない状況に追い込まれると、人間やるしかないので、集中力が増す。
29歳まで添乗員をやったので、オーストラリアから帰ってきて7年間でこんな感じで英語をやり続けた。
ここから1年、フランス語に集中することになるので、ちょっとまた英語力が落ちた気がする。
そんな中、30歳の時にニュージーランドでOLになった。
メールや電話で、KIWI(ニュージーランド人)を相手に予約や交渉する必要に迫られた。
ライティング、書く英語の出番だ。
英語の日記は、よく書いていた。
しかし、一方的に自分の思いのたけを書いていただけだし、ネイティブチェックをしてもらったわけでもなかった。
交渉メールをだらだら書くとまず、読んでもらえない。
視聴率0だ。
ネイティブでない私は、ト書きで、聞きたいことを、1,2,3と挙げ、単語も難しいものを使わないで、シンプルにした。
Simple is best だ。
話しが込み入ってくると、電話で交渉だが、相手が忙しかったりすると邪険に扱われる。
「あーもっとちゃんと話せればここでがつんと言えるのに」とはがゆい思いをした。
それが、NZでの2年のOL生活での英語だった。
その後、オーストラリアで客室乗務員になった。
訓練での英語は本当に吐きそうなくらい大変だった。
でも、普段の仕事では、毎回、違うクルーといかに楽しい話しをして、コミュニケーションを上手にとり、いいチームの一員になれるようにするかということが大事だった。
また、ステイ先では、飲みにいったり、遊びにみんなで行くことも多い。
そこで、オージーばっかりの中に、1人ぽーんと放り込まれるとぼーっとしていると、何を言っているかわからないことがあった。
タスマニアからもう11年も過ぎているが、まだまだだ。
それでも、フライトで飛びながら、英語を使い、生活もオーストラリアで楽しめた。
それなりに、英語力は上がったと思う。
あとは、NHKの英語シリーズを地道にやった。
そして、38歳の時に、日本に帰国することになる。
帰国後、どうやって英語を学んでいるか?そこからの勉強法はまた次回に!
See you next episode!
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