今日で57投稿目なのだが、先日の50回記念で、アイコンを描いてくれている、ひまわり画伯が、好きな私のブログネタについて話してくれた。
デパ地下のバイトの店長の『「サンサンと輝く33歳 」っていう言葉が胸にささって、なんかすごく元気をもらえるのです。」
と言うものだ。(読んでない方は、最後にリンクを貼っています。)
今日は、そのバイト店長、正式名称「チーフ」のお話し。
私は、スタークルーズを下船した1996年から、今は無き、「プランタン銀座」の地下にある輸入食品売り場でアルバイトをしていた。
海外添乗員をしながらも、働かせてもらったので、1996年の22歳から、27歳くらいまでの5年ほどだ。
「デパ地下」という言葉は、その頃に出始めた言葉だ。
私が料理好きになったのも、ここでアルバイトをしたことも大いにある。
一番力を入れていたのが、イタリア食材。
バージンオリーブオイル、トマト缶、バーニャカウダや、パスタのたくさんの種類や、グリッシーニ、炭酸水のサンぺリグリノなどの食材をここで学んだ。
フランスのゲランドの塩、アジア料理のナンプラーや、スイートチリソースなど、売り場にいながら、世界の食卓を体験できてとても楽しかった。
そこにいたのが、売り場を任されていたチーフだ。
私の7歳上で、ゲイだった。
チーフは、くねくねと体を揺らしながら、
「いらっしゃいませぇーー⤴」
と語尾を上げて、売り場中を歩いていた。
ちなみにこれは、私が描いていた「ひとこと絵日記」で、チーフをこんな感じで描いていた。👇
彼は、ヒステリックになることが多かったらしい。
それが原因で、なかなかスタッフが定着せずに部長クラスのおじさまがどうにかならないかと頭を悩ませていたと聞いた。
そこに、ムッツィー登場。
23歳で既に、オーストラリア一周して、船に乗って、世界の奇人変人をかなり見ていたので、私には、免疫があった。
だから、チーフは、全く気にならなかった。
たぶん、馬があったのだろう。
私としては、逆に、生まれて初めて、関わるゲイの方だし、観察し甲斐があった。
毎晩、夕食では、家族に「今日のチーフ」の話しを上げ、母が特に面白がって楽しみに聞いてくれた。
チーフは、昔、アイドルになりたかったそうだ。
だから、「売り場は、ステージですっ」とよく言っていた。
私の友達の、りさちゃんをバイトに紹介して一緒に働いたのだが、りさちゃんは、理系女子で淡々としている。
いつもぼそっと、「チーフ、うざいなー」と言っていた。
チーフは、地獄耳だ。
その瞬間、飛んできて、
「りさちゃん、スマイルー、スマイルーー!!」という。
この二人の温度差も非常に面白かった。
デパ地下は、マスコミでも注目されていたので、TBSのはなまるマーケットや、みのもんたのお昼の番組や夕方のニュースなどで、よく売り場がテレビに出た。
そんな取材の日は、おしゃれなチーフが更にカラフルなネクタイとシャツでばっちり決めて、得意になって対応していた。
また、出世願望がとても強く、女性社長がよく、売り場にきていたのが、めざとく来る瞬間を絶対に逃さない。
70歳近い社長は、エスカレーターから降りてきて、ちょうど売場からよく見える。
その瞬間、チーフは、1オクターブ上げた、大きな声で、「いらっしゃいませぇーー⤴」というので、私も、「あっ、社長だ!」と思うのである。
なんで、そんなにいち早く見つけられるか聞いたら、「ガニ股の足の角度!」と即答した。
どうやら、エレベーターで降りてくる時の足で見分けるらしい。
そして、美術センスがある。
トマト缶の並べ方は、芸術的だ。
いつも社長に褒められ、社長が帰ったあと、
「褒められました⤴出世街道また昇りましたー⤴」
とまた語尾を上げて喜んでいた。
ヒステリックになるときも噂通りあった。
色々な業者さんが、営業で売り場に来る際に、いつのまにか、今日のご機嫌を伺いに、まず私に聞いてくるようになった。
「今日はだめですね」なんていうと、「じゃあまた出直します」と言うこともあった。
ちなみにこれもまた、「ひとこと絵日記」からでてきたのだが、チーフのヒステリーに私も耐えられなかった日があったようで、「Give Up」と書いている。
一度、なんだか忙しすぎてパニックになったのか、売り場にある、2台の電話が両方なっていたので、2つの受話器を取って、話していた。
振り向いたら、そんなことになって、爆笑状態だったけど、レジが忙しすぎて、あれ?幻かなとまたレジ作業に私は、戻った。
チーフは、新宿2丁目のゲイバーにもよく連れて行ってくれた。
行けつけのママさんが「今日は何歌う?」なんていうと、たいてい、完璧な振り付けのピンクレディーを披露した。
私は、制服で仕事をしていて、私服は、これまたチーフに負けないくらいカラフルなのを着ていた。
ある日、緑のタートルネックに、オレンジの毛布生地のくるぶしまである長ーーーいスカートにカラフルターバンして、飲みにいったら、
「あら、ジャマイカからきたんですかぁー⤴」
と突っ込みが入った。
そして、チーフの33歳の誕生日に、私はあの名言を授かるのである。
あの話しをもう一度説明しよう。
チーフは、髪の毛をツンツン立てていたことからのインスピレーションを得て、誕生日プレゼントは、毎年、サボテンを渡していた。
この年は、赤い小さなサボテンの花がついていて、黄色の鉢に入った、とってもカラフルなものにした。
チーフは、「アラー素敵ーー」と喜んでくれた。
そこで、26歳だった私は、「33歳、オトナですね。抱負は何ですか?」と聞いた。
そうしたら、
「やだーー、そうねー。サンサンと輝く33歳ですよーー」とレジを打ちながら雄たけんだのである。
自分が33歳になって、オーストラリアに行くべきか否か、うじうじ考えていた、まさにその時に、この話しがよみがえったというわけだ。
私は、海外添乗員が忙しくなってきて、プランタンを卒業した。
その後、銀座にいけば、お店に顔を出していたのだが、いつの間にか、チーフが辞めていた。
連絡先も告げずにいなくなってしまった。
ただ、風の噂で、カツ屋さんで働いていると聞いた。
業者さんの一人が偶然、町で見かけた時に声をかけたらしい。
「どうですか、カツ屋さんは?」と聞いたら、「油っぽい!」と言って、そそくさと去ったそうだ。
SNSの時代になったので、本名がわかるから探してみたりもしたが、見つかっていない。
チーフは、なんとなくアナログが好きそうだから、その世界では見つけられないなと思っていたが、やはりそうだった。
元気でいてくれればいいなーなんて思っている。
もし、この記事がいつかチーフに届いて、連絡がきたら、あの時のお礼を言いたいと思っている。
そして、あの時は、私の初めてのゲイとの出会いだったが、今は、たくさんゲイのお友達がいるので、私のゲイ友達の話しも聞いてもらいたいなと思う。
チーフは、まさか、私が、あの言葉で、オーストラリア行きを決めたなんて夢にも思ってないはずだ。
何気なく言った言葉がこうやって人の人生を変えることって生きていると、結構あると思う。
だからこそ、優しい言葉を紡ぎたいなーなんて思うのであった。
というわけで、またねーーー!
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