Day 9//2003年6月22日
すごいものを昨日見た。
サハラ砂漠ツアーを手配してくれた、アリが、親戚の結婚式のお祝いの宴に私を招待したのだ。
私の予想では、ツアーを「日本人価格」にして儲かってご機嫌だったんだと思う。
モロッコは、大家族で住む人が多い。
アリのうちも、両親、兄弟、いとこを含め、20人くらいで住んでいた。
家は、ホテルのようで、20部屋くらいあった。
中庭を介して、部屋がある。
とにかく広大な敷地だ。
お祝いの宴のある親戚の家は、すぐ近くにあるそうだ。
その前にホテルのバーで一杯飲もうということになった。
私は、オレンジジュースを飲んだが、アリは、ビールを飲んでいた。
イスラム教は、飲酒禁止だ。でもアリは、とにかく美味しそうにビールをよく飲んでいた。
家では、絶対お酒を飲めないから、いつもここに来ると言う。
飲む、飲まないは、個人の自由だと言っていた。
そして、お祝いをしているという親戚の家にお邪魔した。
21時半過ぎという遅い時間だった。
家に入ると、なんだか、沢山の子供達が私を見て盛り上がる。
2つに分かれた部屋があり、アリが「Femme(女性)の部屋へどうぞ」と言った。
もう一つの部屋は、男性部屋だった。
女性部屋に入ったらびっくり。狭い部屋に、びー------っしり人がいた。
40人はいたと思う。
全員全身真っ黒のヒジャブを身に着け、顔は、目が見えるか見えないかだ。
私を見て、慌てて、顔を覆う人もいた。
なんだか、アフガニスタンのドキュメンタリーをテレビで見た時の不気味な印象を受けた。
照明が暗い中、黒づくめの女性が狭い部屋にびっしり座っているのは、異様な光景だった。
「この子がフランス語を話せるから」と場所を開けてくれたところに座った。
彼女も黒づくめだった。顔をとってもエキゾチックな美人だった。
彼女が矢継ぎ早に質問してくる。
モロッコは、初めてか、フランスのどこに住んでいるのか、モロッコは好きか、結婚しているか、などなど。
彼女に逆に結婚しているかと聞いたら、「してます。2週間前にしたばかり。」と言った。
年も聞かれたので、聞き返したら、16歳だった。
相手は、32歳だそうだ。どうやって出会ったのかと聞いたら、”Choisi”という「選ぶ」という単語を使っていたので、お見合いだったのかなと思った。
「相手はいい人?」と言ったら、「うん」とエキゾチックに微笑んでいたが、目が寂しそうに見えた。
女部屋には、男児は、入れるようだった。
ちびちゃんが7人ほどいた。
その中の1番年上の8歳の「アリ」君が、唯一、フランス語を話せたので、話し相手になってもらった。
他の男の子たちは、Bonjourボンジュール!だけは言えるが、まだフランス語は習ってないらしい。
子供たちは、私の名前をすぐに覚えた。
私の名前は、この国では、馴染みのない音なのか、なかなかすぐに覚えてもらえないが、さすが子供だ。
40人もの女部屋でフランス語を話せたのは、結局この2人だけだった。
皆、微笑んではくれるが、会話となるとだめだった。
待っている間、抹茶に砂糖を混ぜたようなお茶とピーナッツが何度も回ってきた。
モロッコでは、お茶といえば、ミントティーだが、このお茶は初めてだった。美味しい。
部屋に40人も集まれば、ただでさえ暑いのに、もう蒸し風呂状態だ。
いくつかのグループに分かれ、皆、ひそひそと話していた。
楽しそうだが、やっぱり不気味だ。
疲れているのか、横になっている、おばさん達もいた。
そうだ!結婚式と聞いていたが、花嫁が誰だかわからなかった。
時計をみたら、既に23時を回っていた。
そうしているうちに、子供達が部屋からいなくなった。
女たちは、まだそこにずっといた。
しばらくすると、大人のアリがやってきて、「もう食べた?帰る?」と言われた。
私は、茶菓子とお茶しか口にしてなかったので、「これがそうだったのか?」と思ったのだが、周りの女性たちが、「そこにまだいなさい。」と合図をする。
どうすればいいかと思っていたタイミングで、大皿料理がとうとうやってきた。
なるほど、アリは、ご馳走を、今さっき食べ終えたのだ。
男性の後、女性の食べる番が回ってくるということかー。
これは、イスラム教の規則なのか、それともこの地域の伝統なのか?
1つの大皿を6人が囲み、手でつまんで食べる。
肉とゆで卵の煮込み料理だ。モロッコのパン、ホブズにソースをつけながら、手で食べた。
飲料水は、ボールに並々と入ったものを回し飲みする。
私は、なんだか飲むことができなかった。
次にクスクスに砂糖がかかってきたものがやってきた。
私は、今日は、沢山ご馳走が出ると思っていたので、そのクスクスを食べながら、16歳の彼女に「これは、デザートみたいな味だね。」と言ったら、「そうよ、デザートよ。」と答えた。
え???これだけ?こんなに長いこと待った祝宴の品は、この2品と最後に出てきた、スイカとメロンだけだった。
私が想像していた、お祝いのご馳走とは、程遠いものだった。
皆、黙って、黙々と食べていた。こうして宴が終わった。
女達は、まだ座っていたが、私は去った。
イスラム教では、結婚すると1週間、ずっとお祝いらしいが、お祝いの場に関わらず、親戚の集まりでも、男女別々が基本らしい。
ちなみに、結局、花嫁も花婿も誰だかわからなかった。
結婚式では、踊って盛り上がる場面もあるらしいが、それも男女別々の部屋だそうだ。
「じゃあ、結婚しても旦那さんと出かけたり、一緒にいつもいられないの?」と言ったら、「そう。寝る時以外は。」と言っていた。
イスラム教の国は、これまで、トルコ、エジプト、マレーシア、インドネシアなど回ったが、このモロッコの南のザゴラほど、女性の自由のなさを感じた場所はなかった。
男性たちは、
「ここでは出会いがなかなかない。」
「結婚すると一家の主として家族を支えなくてはならないから、お金が貯まるまでは、結婚ができなくて大変だ。」
とよく言っている。
イスラム教の女性には、遊びで手が出せないので、男性たちは、自由の国から来た、私達旅行者に隙あれば、一晩一緒にと狙ってくる。
イスラム教の聖書、コーランは、町のあちこちで目にする。
車の中にも置いてある。5回のお祈りの時間を伝える、アザーンもけたたましく鳴る。
色々な制約が日常にある。
モロッコは、まだ貧しい。
食事も質素だ。物価は、ツーリスト価格で、ぼられているものの、それでも安い。
モノがそもそもない。
一般の人の家も、率直にいえば、貧しいなと感じる。
アリという人を通じて、今回、なかなか見られないものを見させてもらった。
これは、どんなにお金を積んでも、見れないものだったと思う。
あの場所にいた、16歳だった彼女は、もう35歳だ。
子供は、何人いるのかな?その子供ももう結婚している可能性もある。
元気でいることを遠いアジアの異国で思う私であった。
この出来事は、18日間のモロッコ旅行の中で私にとって、1番強烈だった。
こうして、モロッコの南が終わり、明日から、北を目指す。
ちょうど今日で旅行日程の半分を終えた。
色々あるが、モロッコは、いい国だ。
つづく
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