2012年2月末から1か月ほど、ヨルダン、イスラエル、インド、パリ、シンガポールを放浪してきた。
オーストラリアでCAをして5年。
日本に帰国することが決まり、最後の私のフライトが終わった。
とっても感動だった。(この話しは、いつかまたここで披露したい。)
ラストフライトから5日間、部屋の整理、旅の準備、お別れ会など、慌ただしく過ぎた。
CAの仕事の何よりもの利点は、航空券を90%オフという破格の値段で利用できるということ。
そのお話しはこちら↓
スタンバイベースではあるが、ほとんどの航空会社のチケットが使えるので、世界中を飛べた。
この仕事を辞める時に、何よりも心残りが、このスタンバイチケットの利用がもうできないということだった。
このスタンバイチケットを利用した、最後の行き先は、ヨルダン、イスラエル、インド、そして、ワーホリ以来、訪れていなかったフランスと最後にシンガポールへ。
一緒にCAを卒業する友人と、まずヨルダンへ。
2年間お世話になった、オーストラリアのゴールドコーストの空港から、アブダビ経由で、ヨルダンの首都アンマンに到着。
そこから、目的地のペトラ遺跡までバス3時間の移動。
ここに辿り着くまで、オーストラリア出発後、実に、24時間が過ぎていたので、疲れが最高潮に達していた。
毎回、初日の移動日は疲労との戦いだ。
ペトラは、インディージョーンズのモデルになった、広大な砂漠の地の町。
到着日は、時差ボケ解消の為に早く寝て、翌日の遺跡観光に備えようと、18時半には眠りについた。
しかし、早朝4時半に「アッラーフ アクバルー-(アラーは偉大なり)」というイスラム教のお祈りの合図の大音響で起こされた!
これは、アザーンといって、イスラム教の1日5回のお祈りの時間を告げる肉声の呼びかけだ。
「アッラーフ アクバルー-(アラーは偉大なり)」と爆音で鳴る。
5日間のヨルダン滞在中、毎朝、4時半に一度起きる生活になった。
「イスラム教の人々は、毎朝大変だなー」と思って、ホテルにいたおじさんに勝手に感想を述べたら、「起こされて、眠かったらまた寝ればいいじゃん」とさらっと言われた。
うむ、、確かにそっかー。
ペトラ遺跡は、実にお見事!!この一言に尽きる!!
素晴らしすぎて、この1か月の旅行で、前菜すっ飛ばして、いきなり、メインコースに行ってしまった感じ。
高さ100mに及ぶ、巨大な岩をくぐりぬけながら、大昔の人々が作った、お墓や城を見学。
とにかくでかい!
何だか宝物が出てきそうな雰囲気だ。
道中、ラクダやロバに乗らないかと営業してくる人々や、葉書売りの子供など、常に誰かが声をかけてきた。
ヨルダン人は、日本語で、「ハジメマシテ」と言う人ばかりでびっくりした。
人々は、皆、笑顔で大らか。
隣の国がイラクや、シリアという、危険な国のイメージがするようなところに自分がいるとは思えないくらい、平和だ。
ロバは、最終目的地の巨大な修道院に行く1000段の階段を登る際に利用した。
狭い道を登るかわいいロバちゃん。きっと私を運んで、重かっただろうなー。
朝8時から、夕方17時まで、たっぷり歩いた。
そしてその日は、月曜日のみに開催される、夜の「ペトラナイトショー」というものにあたった。
20時半にロウソクが灯る中、月明かりをたよりに歩き出す。
昼間、太陽の照り返しと、青空と遺跡の砂色(薔薇色と呼ばれている)のコントラストで、眩しい場所は、すっかり夜になって幻想的になっていた。
そして、地元のベドウィンと呼ばれる遊牧民の歌と笛の演奏を聞いてきた。
素晴らしかった!
そんなわけで、翌日は、ふくらはぎが筋肉痛!
ペトラを去り、バスで砂漠を横目に首都アンマンに向かった。
アンマンは、ヨルダンの首都。7つの丘がある大都市だ。
そしてなんと9000年前に作られた、歴史が古い都市だ。
スーク(市場)やモスクがあって、THE 中東!
でもなんだか、女性のお召し物がカラフルで、閉鎖的な空気が薄い感じがした。
私達は、4日間、ヨルダンに滞在して、翌日は、空路でイスラエルに入る予定になっていた。
しかし、「90%割引、スタンバイチケット」の私達のフライトは既にオーバーブックとのこと。
ホテルのおじさんが、「イスラエルには、ここから、陸路で1時間で行けるよ」と教えてくれたので、その線で進めようと計画開始。
しかし、色々調べてみると、陸路でのイスラエルの入国は、セキュリティチェックが非常に厳しいとのこと。
セキュリティチェックだけで、4時間は、覚悟した方がいいと言われた。
2月のこの地域は、非常に寒い。
私達は、毎日、朝から晩まで遊んでいて、結構、疲れがピークとなっていた。
こんな状態でイスラエルの国境超えは、危険かもって思った。
私達の旅程の日程は、1か月ほど。
時間はまだたっぷりある。
そんなわけで、1日、休息日を設けて、疲れを取ってから、イスラエルへ出発することにした。
結局、それは、大正解。
というのも、移動しようといた日は、風雨の嵐のような天気になり、ヒョウも降る有り様。
町の食堂に行って美味しいヨルダン料理をほうばり、少し歩いたら、強風がもたらす、砂の巻き上げが半端なく、そのうちヒョウが降ってきたので、走って帰った。
夜、ぐっすり寝た。
そして、また4時半に「アッラーフ アクバルー-(アラーは偉大なり)」のお祈り合図で一瞬目が覚め、また寝た。
ヨルダンのホテルは、お祈りの合図のスピーカーの真横の立地だったので、それはまあ、毎朝、すごい音で起こされ、部屋にいれば、5回、「アッラーフ アクバルー-」という大音量で、会話も一瞬中断する有様だった。
自分が中東にきたんだなーって実感できる瞬間だ!
こうして、翌日、イスラエル国境越えとなる。
この嵐、まだ続くようで、一体、どうなることやら!それでは、また次回まで!
続き↓
<思い出ブログ>
アッラーフ アクバルー-といえば、やっぱりこれでしょ!!