サッカーワールドカップ開幕!その4 時差との戦いと人種差別について考えさせられた2006年ドイツ大会

エッセイ

2002年の日韓ワールドカップが盛り上がり、日本にもサッカー人気が定着した感じがした。

ワールドカップは、オリンピックと同じく、4年に1度の開催。

4年って中学1年生が高校1年になるくらいだから、結構な時の長さだ。

私も2002年の時は、添乗員をやっていたが、その4年の間に、フランスに1年滞在し、そして、ニュージーランドで2年働いていた。

2006年のドイツワールドカップの時は、ニュージーランドから帰国し、日本で就活をしていた時だった。

自分が日本でこの先、働いて行けるのか、色々もやもやしていた。

現実逃避するように、1か月、ワールドカップをがっつりテレビ観戦した。

いよいよ佳境に入ってきた、決勝トーナメントになると、就活をほぼやらず、試合に合わせて生活スタイルが変わってきた。

例えば、ある日の試合は、

第1戦 午前0時 ポルトガルVSイングランド、

第2戦、午前4時ブラジルVSフランスという、苦しい時間帯。

画して、20時から仮眠をし、試合観戦に臨むという、もはや、選手のような状態に陥った。

決勝トーナメントになると、力が均衡してくる。

勝ち抜き戦になるので、延長戦、PK戦となると、試合時間も長くなる。

眠気との闘いでもあった。

ドイツVSアルゼンチン戦のPK戦に続き、イングランドvs ポルトガル戦もPK。

この試合は、眠気が吹っ飛んだ!

イングランドは、ベッカムの怪我退場とルーニーのまさかのレッドカード。

ポルトガルは、クリスティアーノ ロナウドが決勝PKを決めて、雄叫びしたのが、ポルトガルから声が日本まで届きそうなんて思うほどの凄味があった。

こういう勝ち方をしていくと、ワールドカップ中にチームがどんどん進化しているのが素人でもわかる。

この大会の印象的なことは、フランスのジダンがまさかの頭突き退場をして、引退したというイタリアとの決勝戦だ。

決勝戦のピッチでジダンが頭突き、現役ラストマッチでまさかの愚行…W杯狂騒曲
【読売新聞】 語り継がれる勝負やゴールは数え切れない。トラブルや判定論争も、たびたび世を騒がせてきた。サッカーの祭典・ワールドカップ(W杯)の歴史を、エピソードで振り返る。(デジタル編集部)  PK戦の末にイタリアに敗れた2006年

フランスは、優勝候補だったブラジルを破り、決勝に進んで、盛り上がっていた。

イタリアもフランスも、私がユーロ2000で見た、あの当時の選手が沢山まだ活躍していた。

イタリアは、王子トッティ、カンナバーロ、デルピエロ、

フランス戦では、私は、生でジダンの球さばきを見て、Jリーグで初めてカズのプレーを見たときと同じ感動があったのをよく覚えている。


そのジダンが、延長戦の熱い戦いの中、イタリアチームの、マテラッティが言い放った、何かに切れて、頭突きのレッドカードの退場。
よっぽど、ひどいことを言われたのかもだが、これで最後とは残念でなりなかった。

そんな、サッカーファンがザワザワする中、試合は、大接戦。

延長戦でも決着がつかず、PK戦で、イタリアが優勝した。

それはそれで、嬉しかったが、なんだか、やっぱり、ジダンが気になる。

あの頭突きシーンがずっと私の脳裏に焼き付いた。

フランスは、ご存知移民の国。

私が生まれて初めて、「黒人」というのを見たのは、フランスの空港のトイレの掃除婦だった。

それまで自分が出会った黒人の人よりも、もっともっと肌の色が黒くて、率直にびっくりした。

その後フランスに1年滞在し、モロッコ、アルジェリアなどの旧植民地移民といわゆる白人フランス人との問題を肌で感じたこともある。

人種問題は、理論では片付かない微妙なものがある。


もしマテラッティが人種問題に関わるような発言をあの時したのであれば、残念で仕方がない。


フランス人の友達に、この件に関してどう思うか聞いてみた。

「彼の頭突きという行為は、よくなかった。残念だけど、ジズー(ジダンの愛称)は、僕らのヒーローであることには変わらないよ」と言っていた。


時間がかかりそうな問題を残したまま幕を閉じた。

日本は、この年は、ジーコが監督。

中田英寿が活躍したが、試合後、29歳という若さで引退したのが印象的だった。

驚き半分と、なんとなく、やっぱりそうなんだーという思いが半分だった。

彼は、サッカー以外にも沢山の才能を持っていて、それまでの日本のサッカー選手像のような、サッカーの世界だけでは生きて行かない、新しいタイプだなって思った。

そんな私は、その当時、32歳で、就活中。

日本という地で今度は、頑張ろうと思ったものの、自分がやりたいことと、実際に出来ることのギャップがありすぎて、へこみ気味だった。

常々、自分らしさを持ち味にやりたいことをやってきたが、30代になると、仕事に関して、世間から求められるものが、高くなり、それに答えられるほど自分には力がないなと痛感していた。

生きていくというのは、大変だーって思うのであった。

中田英寿やジダンの引退の話題で持ちきりの中、私の引退って人生のどんな時なんだろう、そしてそんな時が果たしてあるのかな?と素朴な疑問を抱きながら、翌日の面接に備えるのであった。

かくして、2006年のワールドカップは、ちょっと私にとってほろ苦い思い出になった。

次のワールドカップの時は、どうなっているか?続きは、また次回に!

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