【海外旅行】ドバイ観察記 その1 へーって思えるお話し。

海外旅行/中東


コロナ渦という状態がまだまだ続き、飛行機代がべらぼうに高くて、すぐに飛べそうにないので、今日は、思い出旅行をしたいと思う。

今日から3回、ドバイについてご紹介

ここには、結構多くの人が行ってるイメージがあるので、懐かしいと思う人も多いのではないでしょうか!

この地は、私にとって、37国目。

アラブ首長国連邦(UAE)の中心都市だ。

面積は北海道とほぼ同じ。首都はアブダビ。

民族構成は、アラブ人は、全体の50%にも満たず半数は、南アジアと言われる。

インド、パキスタン、アフガニスタン、フィリピン人などが労働者として多くみかける。

1939年に首都のアブダビが財政難の打開策にと、石油時代が来るのを見込んで発掘を始めた。

それから、20年後にようやく油田が見つかりお金持ちの国となった。

夜のモスク。

しかし、いつ絶えるかわからない石油資源だけに頼るのは危険だと当時の首長が考え出したのが新たな商業。

外国企業の優遇措置などで大きくなり今では、ドバイはこの国の顔となる都市となった。

エミレーツ航空も大きく伸び、ドバイを拠点に乗り継ぎをする多くの観光客、ビジネスマンを獲得した。

ドバイ空港は、24時間ひっきりなしに飛行機が発着しており、夜中に着いた時でも、日曜日の大人気デパートのように免税店など大賑わいだ。

このようなアイディアでドバイは、急速に知名度を上げた。

アラビア半島7つのうちの1つ、アラブ首長国連邦。

昔は馴染みがちっともなかったが、こうして今は、身近な存在になった。

そんな中、2008年2月にドバイに到着。

私は、オーストラリアに住んでいたので、パースから飛んだ。

あちこちにあるモスク

夏は気温摂氏50度を超える猛暑の地で、ちょうど私達が訪れた、冬の時期がベストシーズンだそうだ。

到着日の朝は、寒いと感じるほどだったが、やはり昼間になると気温がぐんぐん上がる。

しかし、20℃ほどの心地よい暑さ。

ドバイは、人口の8割が外国人とのこと。

外国人出身者の割合が非常に高く、88.4%に及ぶ。

町では、イスラム教独特の格好をしている人がたくさんいて、「おー、イスラム教徒の国に来たなー。」と実感する。

大きい人がいっぱい。
洋服屋さんのマネキンもアラブ仕様。

とはいっても、あまり違和感がないのは、その当時、私が住んでいたシドニーの地域が、アラブ人の住民が多いところだったからだ。

それでも、男性の被り物はやっぱりオーストラリアではそんなに見ない。

沢山の男性の白い装束(カンドゥーラ)に、クゥトラと呼ばれる、赤と白の縞模様のティータオルのようなものを頭に被っているのがあちこちいるのを目にするとアラブに来た実感が沸く。

ちょっとオバケのQ太郎みたいだ。

観光客に有名なのは、多くの有名ホテルが連なるジュメイラビーチ側だ。

私達はまず、一般人が多いディラ地区から観光し始めた。

地図で見るとホテルからそんなに離れてないので、歩いて向かった。

ドバイはその当時、あちこちで工事をしていた。

その為、地図どおりには歩けないということが判明。

また、工事の為の砂煙がすごいので埃っぽい。

私は、ハードコンタクトをレンズをしているので、埃が、目に入り、涙が止まらなくなった。

歩くには適さない。

そこで便利なのがタクシーということを発見した

高級車のタクシーの初乗りが3DHMディラハム (約100円)で、30分近く走っても60DHM(1800円)ほどだ。

きちんとメーターも使うしGPSもついているしでトラブルになることがない。

イスラム教の祝日は金曜日だ。

その為、木曜の夜は、昔風でいう「花(の)金(曜日)」ならぬ「花木はなもく」。

ただでさえ混む道路も木曜日の夜はさらに大渋滞。

そして、タクシーも全くといっていいほどつかまらない。

私達が観光を終えて、出国するフライトは、木曜日の夜だった。

「花木」の存在を知らなかった私達は、帰りのフライト時間がせまっているにもかかわらず、タクシー争奪戦にとうとう勝てず、バスを利用することになった。

地元のバス大好きな私。次回は、地元バスレポートからお伝えします!

またねー!

コメント

タイトルとURLをコピーしました