もうすぐクリスマス。
初めて海外でクリスマスを過ごしたのは、21歳の時。
オーストラリアでそれも夏のクリスマスだった。
サンタクロースがサーフィンをしているのを想像していたのだが、私がいたメルボルンは、南の方角だったので、朝晩は、肌寒い時もあり、海で泳ぐ感じではなかった。
私の人生の神様、ケネディおじいちゃん、おばあちゃんが、
「クリスマスに我が家に泊まって、オージーのクリスマスを体験しなさい。」と招待してくれた。
ちなみに、オーストラリアは、ヨーロッパほど、キリスト信仰は深くないが、クリスマスは、1年で1番大事な日だ。
客室乗務員時代も、クリスマスにに仕事が入ったオージーは、もれなく、「急病」になり、スタンバイ組が呼び出されて飛んでいた。(リンクは、最後に。)
12月25日がクリスマス、26日がボクシングディといって休日だ。
会社員は、もうこの前後からお休みを1週間ほど取るのが普通だ。
25日は、お店も、レストランも全部閉まる。
レストランが開いていたとしても、料金がかなりの割り増しになる。
コロナでロックダウンになっても、スーパーは閉まらなかったが、クリスマスは、特別だ。
なので、クリスマス前は、食料品、プレゼントを買い求める人で町は人で溢れかえっていた。
ケネディさんは、メルボルンの中心地から車で30分ほど離れた郊外にいる。
7月のおじいちゃんの68歳の誕生日パーティーでお会いした、家族や友人もやってくる。
25日の夜に大きな家族のパーティーがあるので、24日から泊まらせてもらって、お手伝いをした。
お庭の芝刈りをしたのだが、これってオーストラリアっぽいなって嬉しくなった。
25日は、その芝を刈ったばかりのお庭で、子供達とおじいちゃん、そして、私がこの一家と出会うきっかけになった、息子のアランや、その兄弟たちがクリケットを楽しむ。
親戚一同のクリケット大会だ!
クリケットは、オーストラリアの一部に熱狂的ファンがいるスポーツだ。
野球のようなボールとバットを使う。
子供たちは、勝つために、必死。
それをいじりながら、大人たちも負けじと戦うやり取りが面白い。
その間、おばあちゃんや、女性陣は、料理の支度だ。
おしゃべりをしながら、こちらもとっても楽しそう。
夕方から、ケネディさんのうちは、テレビで中継される、クリスマスソングを歌う番組を見ながら過ごすのが伝統らしい。
さながら、日本の紅白歌合戦のようなものだろうか?
気に入った歌が始まると、皆、立ち上がって歌う。
だんだん、クリスマスディナーに来る人達が集まってきた。
おじいちゃんの誕生日会で、会っている人達ばっかりだったので、皆との再会を私も楽しんだ。
「オーストラリアをこれから1周します!」と出会ってから、半年。
すっかりオーストラリアを周って、知り尽くし、会話の幅が広がった。
食事は、パイ、ハム、サラダ、シーフードカクテル、ローストチキン、マッシュポテトなどビュッフェ形式で、好きに取って、食べた。
皆が楽しみにしている、プレゼントはクリスマスツリーの下に置く。
ここでは、皆、ラッピングは、自分でする。
日本のように丁寧にお店でしてくれるところが少ない。
ラッピングをそれぞれしてから、誰宛のプレゼントかを明記して、クリスマスツリーの下に置くのである。
それを26日の「ボクシングデー」に開けるのである。
ボクシングとは、クリスマスの贈り物の箱(BOX)を開ける日で、戦うボクシングではない。
本来は、26日にプレゼントを開けるのだが、皆が顔を合わせる、25日にケネディさんの家では、渡しあう。
クリスマスツリーの下に置いたものを、自分が渡す人に直接渡して、メリークリスマス!と声をかけあう。
プレゼントは、高価なものではない。
チョコレートとか本といったものだ。そしてありがとうのハグをする。
皆がこうして元気で今年もクリスマスを過ごせてよかったねというといった感じだ。
とー------っても素敵だなー--と感動した。
ケネディさんとは、それから2回ほど、またクリスマスを過ごさせてもらった。
孫だけしかいなかったのに、ひ孫、玄孫と、クリスマスの度に、子供達が増えたと思えば、亡くなった人達もいる。
私は、毎年、欠かさず、クリスマスカードを送っている。もう26枚になる。
去年は、送ろうと思って、郵便局に行ったら、オーストラリアは、コロナの為、郵便が送れないといわれてしまった。
日本が夏になって、「遅れたクリスマスカード」を送った。
今年は、「オーストラリアに送れるが、時間がかかるので、早めに送るように」と郵便局の人からいわれて、11月末に送った。
クリスマスまでに間に合いますようにと願っている。
というわけで、本日はおしまい。
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