誕生日九州旅行、本日で最終回。
本日は、博多から、電車で2時間弱ほどの距離にある、佐賀の唐津へご案内。
前回は、イカで有名な呼子に行ってきた。
朝市とイカの活き作りランチを楽しんで、唐津に戻り、午後から唐津観光だ。
唐津はコンパクトな町。
徒歩圏内で見たいものが見れる。
呼子から、40分ほどで唐津のバスターミナルに戻った。
まず、唐津神社経由、唐津城を目指した。
海沿いに出てから、唐津城までは、歩いて20分ほど。
土曜日の午後なのだが、なんだか町がしー---んとしている。
海岸にいけば、更に周りが静かなせいで、波の音が「ざっばー--ん」と響きわたる。
とてもいい。
唐津城は、豊臣秀吉の家臣、寺沢志摩守広高が、慶長7年 (1602年)から7か年の歳月を費やして完成させたそうだ。
秀吉といえば、朝鮮出兵だ。
韓国は、すぐそこにある。
お決まりの天守閣まで上がり、景色を眺め、城の主も見たであろう、同じ高さからの景色を楽しむ。
次は、「旧唐津銀行」へ向かう。唐津出身の辰野金吾の監修の元で作られた。
辰野金吾といえば、東京駅や日本銀行をデザインをしたことで有名だ。
今、銀行で仕事をしているので、なんだか馴染みがある。昔の金庫室や、預金窓口などを拝見。
暖炉などもあり、この時代の建物は、洋風も混ざって好きだ。
そして、「唐津曳山展示場」へむかった。
一体何が見れるんだ?と思う人は多いと思う。
「唐津くんち」は、ご存じだろうか?
これは、「唐津神社の秋のお祭り」のこと。
見所は、「ヤマ」と呼ばれる巨大な曳山が城下町を練り歩く、曳山巡行。
曳山は、山車のことだ。華やかなお祭りを、14台のヤマが彩る。
この赤い魚の曳山を見て、あー、なんか知っていると思う人はいるだろう。↓
2016年、ユネスコ無形文化遺産に登録された。
お祭りは、毎年 11 月の2日から3日間にわたって開催 され、
「エンヤー、エンヤー」
「ヨイサー、ヨイサー」
のかけ声で 14 台の豪華絢爛な曳山が旧城下町を 駆け抜ける勇壮なお祭りだそうだ。
市内外から50万人も人が集まるという。
この静かな町がそんな人で埋まるなんて、想像がつかない。
とにもかくにも14台の曳山。どんなものだろうと会場に行った。
そしたら、2階に案内されそこから覗き込む大きさにびっくりした。
高さ約7メートル、重さ2ー3トンありという。
豪華な作りで、漆と和紙を材料とした乾漆技法でつくり、外側に金箔・銀箔等で細工を施しているそうだ。
漆工芸品としては世界最大級のもの。制作費も大きく、今のお金に換算すると1台1億5000万円になるという。動く美術工芸品だ。
なるほど、そういうことか。
これは、すごい。
14台のうち2台は、補修中らしく、1年くらいかけて、修復するそうだ。
そのうちの1台を担当している人が東京にしかいないそうで、今、唐津に1年滞在しているという。
館内のビデオでお祭りの様子を見たが、曳山をひく、男たちの情熱が画面からも伝わる。ちなみに皆様にはこちらをご案内↓
やっぱり何でも自分の目で見るのが一番いい。
いいものが見れた。
そして最後は、唐津といえば、唐津焼。
桃山時代から遡り、古い歴史を誇る伝統工芸だ。
1580年代頃、焼かれたのが始まりとされている。
その後、豊臣秀吉による朝鮮出兵の際、朝鮮陶工を連れて帰り、その技術を取り入れたことで唐津焼は生産量を増していったそうだ。
磁器の伊万里焼と違って、落ち着いた色のイメージがある。
駅から5分ほどのところにある、旧唐津藩の御用窯を務めた中里家直系、「中里太郎右衛門」の窯元に立ち寄った。
鯉が泳ぐ庭園を備えた陳列館では中里逢庵(13代太郎右衛門)と14代中里太郎右衛門の作品を展示。
さすが、値段がすごかった。陶器には詳しくないが、雰囲気にのまれて、「いいなー」と単純に思う私。
この通りは、その名も、「茶盌窯通り」という。
茶盌窯通りは旧唐津藩の「御用窯跡」がある。
「御用窯」は1734年から唐津藩が将軍家などへの献上品を焼くのに用いられた窯だ。
ここに「お茶碗窯跡」という 明治維新後、大正13(1924)年まで使用されていたものを保存されている。状態はよく、全長約27.5mの連房式登窯で、見事だった。
大きくて、子供だったら、かくれんぼしそう!なんて思うくらいだ。
この窯で焼かれたものは「献上唐津」と呼ばれ、抹茶碗や水指、花入などの茶陶や茶碗、大皿などあらゆるものが作られたそうだ。
色々勉強になった。
というわけで、3泊の別府、博多、唐津の九州の旅は、これにておしまい!
実際に自分の目で見て、体験できることは楽しい。旅は、5感に刺激的!
これで、45都道府県を制覇。日本のいいところ、沢山の発見でした。
またねー-
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