博多は、23年前くらいに、添乗員で1度、行ったことがある。
ただ、それは、空港から市内までの送迎のお手伝いかなんかだったはずだ。
なぜなら、博多の思い出が「一蘭」で食べたラーメンの記憶しかないのである。
今でこそメジャーだが、あの当時、びっくりした。
仕切りがあって、顔が見えなくて、逆に緊張した。
でも美味しかった舌の記憶がある。
今回は、まだ訪れたことのなかった、大分と佐賀に行くのが旅の一番の目的だった。
大分と佐賀を移動するにあたって、博多を絶対通過しないといけないということがわかった。
そこで、福岡在住のガイドさんから色々お勧めポイントを聞いて、博多に2泊して、佐賀にも行くことにした。
別府から、高速バスで約3時間で博多だ。
(前回の別府の話しはこちら↓)
別府を出てから、高速に入り、湯布院に入ると、標高が上がる。
前日の降った雪で、道路や山並みが、雪化粧していて綺麗だった。
右を見れば、海、左を見れば、山の景色と、湯けむり。空は真っ青。
天気と同様、すっきりした気分だ。
博多に入ったら、東京かと思うほど、大都市だった。
これは、都会から出ようとバスの中で決めた。
そんなわけで、大宰府天満宮に行くことにした。
博多市内から。電車で40分ほど。
実は、大宰府には、あまり期待を正直していなかった。
私がまだ小学校の頃に、お土産で、大宰府のしおりをもらったことがあるのだが、あまりその写真に魅かれなかった。
それだけの話しだ!
「お寺も過去に、たくさんみているから、一緒だろうなー」なんて思っていたのだ。
でも実際に見てみたら、「こりゃ、大宰府様をなめておりました、参りました!」だった。
天気がよく、ちょうど受験シーズンでもあるので、賑わいをみせていた。
梅もつぼみが出ていた。
梅の有名な大宰府。来月には綺麗なピンク色になるかなーと思った。
更に、あまり興味がないと思いながら行った、「九州国立博物館」にどはまりしてしまった。
大宰府から、そのまま繋がっていて、ついでに行けるのもいい。
ここは、2005年に東京、奈良、京都についで、4番目の国立博物館として誕生したそうだ。
日本文化の形成をアジア史的観点から捉えるというコンセプト。
それこそ、縄文時代の土器や、弥生時代の青銅器、埴輪など、今まで目にしたことがあるものばかりなのだが、なんでだろう?色々、心惹かれた。
例えば、弥生時代の人達が、作った楽器。お琴もどきや打楽器みたいのがある。
弥生時代の人って、ネットやゲームで遊ぶとかじゃないから、きっと妄想とかしている人が多かった気がする。
その中で、音楽とかが浮かんできて、音を出したりして、楽しんでいるうちに、楽器を作ったんじゃないかなーなんて私も古代の人達の妄想をしてしまう。
古墳の中に宝物を入れたりするのって、エジプトの人達と同じだ。
また、マウント取る人が出てきて、格差ができてしまうのって、今と変わらないなーと思った。
結局、人間の考えることって、古代も今もそして、どの国に生まれても変わらないと感じた。
シルクロードから文化が行き来しはじめ、江戸時代の鎖国あたりの時代の展示物をじっくりみた。
モンゴルの元寇に襲われていたら今頃、日本ってあったのかなーなんて思ったり、やっぱり歴史は楽しい。
そんなわけで、思いがけず、どっぷりはまった大宰府だった。
博多でやりたかったことが、屋台デビューだ。
「喜柳」という屋台をお勧めしてもらったので、行ってみた。
屋台は、18時頃から出てくるそうだ。
確かに、昼間になかった場所に暗くなったら、お店があちこち出ていた。
私は、その日の最初のお客さんだった。
おでんの煙の中、お店の人が3人いて、1人で入ったので、ちょっと緊張してしまった。
あんなに海外の屋台やバールに1人でガンガンいけるのに、なんだ?この緊張感は?と思う私。
ビールとおでんともちもち餃子を食べて、速やかにお会計を済ませた。
今度は、友達とワイワイきたいなと思った。
大都市のいいところは、ネオンによって、夜の景色が昼間とガラッと変わることだ。
神社も中洲も夜になると、色っぽくなる。
夜の散歩を楽しんで、ホテルに戻った。
博多の話しは、もうちょっとだけしたいので、また次回に!
またねー-
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