English follows after Japanese.
私の人生を大きく変え、愛してやまない人が98歳の大往生の末、先日、亡くなった。
オーストラリアで出会った、ケネディさん。(通常、名前のフランクと呼んでいるのだが、人に話す時は、苗字の「ケネディさん」と呼んでいるので、今日は、ケネディさんと呼びたいと思う。)
1995年6月30日に成田発、シドニー行き、片道航空券で1年、オーストラリアをバックパッカーで旅する為に、私は日本を出た。
その最初に泊まった、ユースホステルで、出会ったのが、アランさん。(ケネディさんの息子)。
メルボルンから旅行で来ていて、生まれて初めて、カプチーノというものをご馳走してもらった。

その、数週間後、アランの住むメルボルンに着いた際、約束通り、電話をしてみた。
あの時代、携帯電話がなかったので、公衆電話から連絡をした。
そして、ちょうどその日に、彼のお父さんの68歳の誕生日会で家族全員が集まるから、君もいらっしゃいとすごいお誘いを受けた。
そこで、迎えていただいたのが、お父さんのフランクとお母さんのジョアンのケネディさんご夫婦だった。
このケネディさん一家の出会いは、神様からのプレゼントだと思っている。
その衝撃の日の出来事の詳細はこちら↓
あれから30年。
今年も、30通目のバースデーカードを送ったばかりだった。
最近は、毎回、手紙を送るたびに、もしかして、これが最後になるかもって思っていた。
だから、毎回、気持ちをぶち込めて書いていた。

亡くなった知らせが入った時、とうとうきたかってまず思った。
しばらく実感が沸かなくて、でも、いつも見ている部屋にある写真を見てたら、もういないのかなって思って、寂しくなった。
しばらくなんか、心が固かった。
お葬式をオンラインで見ることができるとアランから知らせを受け、すごい時代になったな、文明にありがとうって思った。
外国のお葬式に初めて参加したが、いい表現が見つからないのだが、率直に言うと、素晴らしかった。
彼は、最期の最期まで、私の理想の人で、やっぱり私の神様だ。

葬儀は、日本時間、朝9時からだった。
私も喪服を着て参加した。
オーストラリアから完全撤退して、13年の私。
中継に映る、懐かしい面々にまた胸を打たれた。
ケネディさんは、眠りながら最期を穏やかに、終えたと話していた。
アラン達が
We are not sad more in awe of an amazing life well lived(私たちは悲しみよりも、父が素晴らしい人生を送ったことに畏敬の念を抱いている)
と言っていた。
だから、葬儀も悲しいものではなく、彼の人生を皆で、お祝いしましょうとCelebrateという言葉を使った事に、オージーらしい明るい気質を感じた。

葬儀は、ケネディさんが愛用していた、カウボーイハットが遺影と共に飾られていた。
司会者が、彼の人生の生い立ちを話してくれた。
若い頃は、ちょうど戦後の不景気になり、仕事を転々としながら、苦労した。
ジョアンというパートナーを見つけ、78年の結婚生活。3人の息子、孫、ひ孫、やしゃごにも恵まれた。
その家族の名前を一人一人読み上げた。
私の知っている懐かしい名前が沢山出てきた。1人1人の顔を思い浮かべていた。
すると、突然、自分の名前が呼ばれたので、びっくりした。

ケネディさんは、私の事をよく、Japanese daughterと言ってくれていた。
司会者が、「フランクは、日本から来たMUTSIの、自分は、2人目の父と言ってました」と話し、私の涙腺は、もう大崩壊。
いやー、これには参った。ケネディ一家の皆様の優しさに涙が止まらなかった。
ケネディさんから、たくさんの素敵な言葉をいただいたが、私の座右の銘にしているものがある。
You are only young once ->人生一回切り!やりたいことやろう!
もうYoung じゃないけど、この心づもりは、今も変わらない。
もう1つ、とても粋な名言がある。
68歳のお誕生日お祝いをしてから12年後、私は、オーストラリアでCAになり、オーストラリアに住んでいた。
そして、80歳のケネディさんのお誕生日パーティーに呼んでいただいた。

その招待状に
No gift needed, your presence is the real present. プレゼントを持ってこないで下さい。あなたが来てくることが、プレゼントです。
と書いてあった。
出席するPresenceとプレゼントのPresentをかけて、来てくれるだけで嬉しいっていう気持ちが溢れている。
それを見た瞬間、うわー!やっぱりケネディさんって本当に素敵!って感銘を受けた。
葬儀では、長男と友人が、スピーチをして、思い出を語った。
ケネディさんのことを
non-judgmental(偏見をもたない、ありのまま受け止める)Kind (優しい)Funny(おもしろい)
と表現していた。
本当にその通りだ。

2点、心残りがある。
まず、両親にケネディさんを会わせられなかったこと。
特に母には、いつもケネディさんの話しをしていていて、ある日、「あなたが好きな男性は、ケネディさんみたいなタイプね」と言われて、あー、確かに!って思ったことがあった。
両親から直接お礼を言ってもらえたらどんなによかったと思う。
そして、もう1つは、日本に来てもらえなかったこと。
私が招待できるくらい、貯金があればよかったのだが、残念ながらそれができずだった。
1度、私がアルバイトをしていた、メルボルンの日本食レストランに招待したことがあった。
実は、私は一度、ケネディさん夫妻に親子丼を作って振舞ったことがあったのだが、その頃、まだ料理が上手じゃなかったので、美味しくできなかった。
生まれて初めて口にした日本食がこれと思われるとまずい!とちゃんとしたレストランに招待したのだった。
その時は、2人とも目を丸くして美味しい!を連呼していた。

ケネディさんは、お寿司のガリがお気に入りだった。
お葬式で色々な写真が紹介されたのだが、私がそのレストランで写した、お箸を持ちながら微笑む、2人の姿があった。
奥さんのジョアンは、95歳で健在だが、体調が悪いとのことだった。
まだ、2人がお元気だった時に、旦那のケネディさんは、目が悪くて、奥さんのジョアンが耳が悪いから、2人で1人だよなんて言っていた。
目が悪くて、よく見えないから、ちゃんと書けているかわからないけど、という前置きをいつもしながら、手書きの手紙をいつも送ってくれていた。
私達のこの30年間の手紙の数は一体どれくらいになっただろう。

手紙を書くときに、オージー風の挨拶で始めるよ!と教えてくれて、毎回私達の手紙はこの文章から始まる。
G’Day Mate! How is going Mate?? よう!元気かい?みたいないわゆるオージースラング。
これをオージーに言うと、皆、大笑いする。
大阪の人の「まいど!」みたいな感覚かなーなんて思っている。
たーーーーーーーーーーーくさんの愛と笑いと思い出に対して、ただただ、感謝しかない。
ケネディさんに出会ってなければ、今の私はいません。
私が受けた沢山の愛と、思い出を胸に、私の神様として、ケネディさんは、これからも私の心の中で輝き続けます。
どうぞ、安らかにお眠りください。合掌。

<思い出ブログ>ケネディさんの事は、このブログに7回出てきました。
最初に1つ出てきたので、残りの6つを思い出として紹介します。
- オージーの夏の家族のクリスマス会に参加させてもらったお話し。
2. 熱を出した時に、オージーの平均体温が高いということがわかった時の話し。
3. タスマニアに行くとき、帰ってきた時にお世話になったお話し。
4. ケネディさんと出会わなかったら、タスマニアを自転車で周ることはしなかったなーという話し。
5.オーストラリアの滞在中に辛くなった時でもケネディさんがいたから乗り切れた話し
A person who deeply changed my life and whom I dearly loved has recently passed away at the age of 98, after a long and fulfilling life.
I first met Frank in Australia.
On June 30, 1995, I left Japan with a one-way ticket from Tokyo to Sydney, planning to spend a year backpacking across Australia. At the very first youth hostel where I stayed, I met Alan, Frank’s son.
Alan was traveling from Melbourne, and for the first time in my life, I was treta ted to something I had never tasted before—a cappuccino.
A few weeks later, when I finally arrived in Melbourne, I kept my promise and called Alan from a public phone—since in those days, there were no mobile phones. That very day happened to be his father’s 68th birthday, and Alan invited me to join the family celebration.
That was how I first met Frank and his wife, Joan. Looking back, I truly believe meeting the Kennedy family was a gift from above.
Thirty years have passed since that unforgettable day. This year, I had just sent Frank his 30th birthday card. Every time I wrote, I wondered if it might be the last, so I poured my whole heart into each letter.
When the news of his passing reached me, my first thought was, “The time has finally come.” At first, it didn’t quite sink in. But as I looked at the photo I always keep in my room, I felt a deep sadness realizing he was no longer here.
Alan later told me the funeral would be streamed online. I thought, What an incredible age we live in—thank you, modern technology. It was my first time attending a foreign funeral, and though I cannot quite find the perfect words, I can honestly say it was beautiful.
Frank was my role model until the very end—my guiding light, my god.
The service began at 9 a.m. Japan time. I dressed in black and joined from afar. Having left Australia completely thirteen years ago, I was deeply moved to see so many familiar faces again on the screen.
Alan and his brothers said:
“We are not sad—more in awe of an amazing life well lived.”
That captured the spirit of the ceremony. Rather than mourning, everyone came together to celebrate his life—a very Australian expression of warmth and optimism.
At the funeral, Frank’s beloved cowboy hat was placed beside his photo. The celebrant spoke of his early struggles after the war, his long and happy marriage of 78 years to Joan, his three sons, and the many grandchildren, great-grandchildren, and even great-great-grandchildren he was blessed with.
To my surprise, my own name was called as well. The celebrant said:
“Frank often spoke of Mutsumi, his Japanese daughter. He used to say he was her second father.”
At that moment, I broke down in tears. Frank often told me, “You are only young once—do what you want to do!” Though I am no longer “young,” I still live by those words.
Another saying of his has always stayed with me. On his 80th birthday, the invitation card read:
“No gift needed. Your presence is the real present.”
That clever play on words moved me so much. It was pure Frank—kind, witty, and full of love.
During the funeral, he was described as non-judgmental, kind, and funny. I could not agree more.
I do have two regrets: that I never introduced him to my parents, and that I never managed to bring him to Japan. Still, I treasure the memories of sharing meals together in Melbourne, especially when he told me he loved the pickled ginger that comes with sushi.
Over the thirty years we exchanged countless handwritten letters, always beginning with the cheerful Australian greeting he taught me:
“G’Day Mate! How’s it going, Mate?”
That became our tradition, and it always makes Australians laugh when I say it.
I cannot express enough gratitude for the immense love, laughter, and memories Frank gave me. Without meeting him, I would not be who I am today.
Frank, my god, my guiding star—you will forever shine in my heart.
Rest peacefully.









