がんばらない。

エッセイ

私はよく人から、「頑張り屋さんね。」とか「努力家だね。」と言われる。

そんなことを言われても全然嬉しくない。

なぜなら、私は、頑張ったり、努力しないと、人並みの実力に追いつかないから、仕方なく、頑張って、努力しているだけなのだからだ。

「テスト勉強を一夜漬けした!」といって、そこそこの点数を取れる人がとっても羨ましい。

自分には、そんな短期間で定着する記憶力なんてないし、頑張って、努力しなければ、落第になるから、やっているだけなのである。

これが更に、英語とかフランス語など、母国以外のテストとなると、もっともっと努力が必要だ。

CA(客室乗務員)の訓練の時は、悲惨だった。

周りの同期は、頭もよくて、英語もできる人ばっかり。

1カ月の間に、もう本当にやばいかもって何度か追い込まれた。

フランスの語学学校に行ってきた時のテストの時もやばかった

あの時は、周りに日本人がいなくて、さらーーーっとやってのける、外国人が多かったことも私を追い込んだ。

スペイン語やイタリア語圏のクラスメートは、日本語を母国語とする私より、同じラテン語系だから、フランス語のテストは、私ほど苦労しない。

また、彼らは基本的には、楽観主義なので、テストの前の日も私みたいにガチガチになっていない。

あの抜け感がとっても羨ましくて、今までの人生、何度か、「フランス人やイタリア人に生まれ変わったらなりたい」とか「タモリにようになりたい。」とか言っていた

しかし、この性格って、持って生まれたものなので、私は、全然タモリにも陽気なラテン人にもなれないでいる。

自分の環境が色々変わる中、最近、自分の考え方を本気で変えないと、この先の人生、とってもしんどいかもって思っている。

そこで、またあらゆる本を読み漁り、自分に響く言葉を見つけては、手帳に書き残している。

それだけで、自分用の本が1冊できる量になりそうだ。

自分に響く言葉を集めて、分析してみてわかったことがある。

私は、やっかいな思考のクセがあると思う。

それは、強い思い込みと「こうしなければならない。」と白黒つけてしまうところ。

もっと、グレーゾーンを入れて、「こういうものもありか!」という柔軟さを取り入れた方がいい。

あと、仕事をいつも、きちんとやって、終業時間がきても「キリのいいところまでやってから終わろう。」とするところがある。

しかし、結局、そこで頑張ったところで、実は、翌朝、メールを見ると、また変更がかかっていて、キリのいいところでやらなければよかったっていうこともある。

「残業してがんばったのに」なんて言っても、誰からも残業命令なんて受けてもない。

勝手に私が、やらなくちゃと思い込んでやって、その結果、やらなければよかったとその状況に苛立っているのである

滑稽な話しだ。

80%の力を出すくらいでいいと思った。

週末に、イタリア人のお友達にその話しをしたら、「MUTSIさんが、50%でやっても、イタリア人から見たら、100%全力出してるって思うよ。」と言っていた。

私の父は、私と正反対で、「しゃーない。(しょうがない)」「まあいいか」が口癖だった。

私は、そんな父が怠け者に見えて、その言葉を父から聞くと、本気でイライラした。

今になれば、私ももっとその考えを尊重して、見習わるべきだったと思う。

おっと、また、「こうしなければならない」病的な考えになってしまった。

ややこしい考えの執着を捨てたい。

最後に先日、宇宙飛行士候補になった、医師の米田あゆさんの私に響いた話しをご紹介したい。

それは、彼女が医者の研修医の時に言われた、先輩の言葉から始まる。

「どこかでやった決断とか選択って悩んで正しいかなって皆が思うけど、その道を正しい道にするのは自分だからね。」と。

米田さんは、

悩むのはすごく大事で悩んだ後、振り返った時に、あっちが正しかったな、こっちが正しかったと、私達は、決断しがちだ。

でも、結局は、そこから自分がどう軌道修正することが大事。

と述べていた。

自分が歩んだ道を正しい道にする努力をするということが重要だと。

なるほど。心に響いた。

軌道修正ってなんか、ちょっとほっとできる言葉だなって思う。

その言葉に、未来が見えてくるからだ。

私も、頑張りすぎずに、80%の力で、軌道修正をしまくりながらやっていきたいな。

というわけで、今日はここまで。

<思い出ブログ>

続:大変だったCA訓練。

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