1995年の21歳の時、私は、オーストラリアに「ワーキングホリデー(略してワーホリ)」制度を利用して1年滞在した。
これは、1年間という滞在中に、観光、就労、就学を自由に経験できる。
1980年にオーストラリアと日本の間で始まったそうだ。
たいていは、まず、3か月語学学校に通い、それから、半年ほど働いて、最後の3か月にラウンドと呼ばれている、オーストラリアの一周の旅に出る人が多い。
私は、1年丸々、ラウンドをした。(過去の関連記事↓)
ワーホリ対象年齢は、18歳から30歳まで。
1995年当時は、他に、ニュージーランドとカナダの3カ国がワーホリ対象だった。
私は、迷わずオーストラリアに行くと決めていた。
ちなみに2002年には、フランスのワーホリにも行っている。
今回、びっくりしたのだが、今は、26カ国もワーホリ対象国があるらしい。
韓国、ドイツ、イギリス、アイルランド、デンマーク、台湾、香港、ノルウェ、ポーランド、ポルトガル、スロバキア、オーストリア、ハンガリー、スペイン、アルゼンチン、チェコ、アイスランド、リトアニア、スウェーデン、アイルランド、エストニア、オランダ!
これは、やばい!
もし私の18歳から30歳の間に、こんな状態だったら、ワーホリ三昧の人生だっただろう。
まあ、そんな夢物語は別にして、1995年といえば、まだ携帯もメールも普及してなかった。
家族や友達のやり取りは、電話か手紙。
電話は、公衆電話から、安いプランのテレフォンカードを買って、連絡していた。
問題なのが、手紙だった。
なぜかというと、私は定住せずに、オーストラリアをぐんぐん駆け巡っていたので、住所がないのだ。
しかし、便利なシステムがあった。
GPO(General Post Office) という各地の中央郵便局付に送ってもらい、そこに一時的に保管してもらうのだ。
私は、シドニーから時計周りで旅行をしていた。
そこで、主要都市には、大体、何月何日くらいに到着するから、
「次の住所は、パースの GPOによろしく!」なんて書きつけるのである。
なので、大きな町に到着し、私がまずすることは、中央郵便局に行き、手紙を受け取ることだった。
これが、本当に楽しみだった!
情報も今のように豊富になかった。
オーストラリアの旅の情報は、その当時の日本では、「地球の歩き方」が一番だった。
ただ、それは、私達のようなワーホリ族には、足りなかった。
ではどうしていたのか?
まずは、口コミだ。
バックパッカーを渡り歩いていると、時計反対周りに旅行しているワーホリ族に出会う。
そこでお互いの情報交換だ。
美味しいお店、お勧めの宿、アクティビティなど。
また自分が旅の途中で出会った人を相手が知っていたり、噂話しもたくさんあった。
また、宿には、たいてい、ビジターズブックというノートがあり、宿泊した人が書き込んだ、色々な情報がとても参考になった。
外国人の書く筆記体が読みにくく、ついつい、日本語情報ばかり得てしまった。
これは、今でいう、SNSだろう。
出会った人には、各々が持つ、「出会い帳」というノートの1ページにメッセージを書いてもらう習慣があった。
旅行中にカップルになった人、その後、結婚したと風の噂で聞いたこともある。
今思うと、婚活アプリに頼る必要のないくらい、出会いの宝庫だった
オーストラリアの西は、人口もずっと少なくなり、ワーホリ族が目指す場所もほぼ同じだ。
仲良くなれば、一緒のバックパッカーに泊まろうとか、バスで先に向かっている私が、自転車で周っているチャリダーが到着するのを数日待って、合流することもあった。
スカイダイビングやカヌーをしながら2泊のキャンプなど、その場で仲良くなったメンバーと行った。部活みたいで楽しかった。
出会い帳は、1年で3冊ほどになったが、度重なる引っ越しの際にどこかにいってしまい残念ながら手元にない。
今のワーホリ族は、Face bookや、インスタで簡単に繋がれるのはうらやましいが、あのぼろぼろになっていた出会い帳も、また風情があっていいものだと思っている。
というわけで、本日のMutsi(ムッツィー)の世界探検隊は、ここまで!
またねーー。
関連記事貼っておきます。
コメント
いつも楽しい記事ありがとうございます!少し見ない間に更に内容が充実して、地図もついてビックリです。すぐに本が出版できそうな楽しい内容ですね!
ありがとうございます。色々な人に読んでもらえるように、構成を変えました。ちなみに、私のイラストは、ひまちゃんが書いてくれてるんですよ!DAコラボですねーー。笑
今後ともよろしくお願いいたします!