【独学】私の英語勉強法 基礎から次のステップ編 4回シリーズ その1

語学勉強法

Hello!

以前、5回シリーズで独学英語勉強法を紹介させていただいた。(リンクは、最後に)

英語をある程度話せるというレベルまでは、実は、やる気と努力さえあれば、なんとかなる。

私の大好きなティモンディの高岸の「やればできる!!」

しかし、実はそこからの伸びが、同じようなやる気と努力だけでは、無理だということがわかった。

実際、今も勉強が必要になっている。

今日から、また4回シリーズで独学英語勉強法、次のステップ編と題して紹介したいと思う。

オーストラリア1周をバスで半年で周り、その間に色々体験して、英語もできるようになった。

日本語を話さない期間が長くなると、夢も英語で見るようになり、朝起きて、ちょっとにやけた日もあった。

そして、自転車でタスマニアを周る為のその資金を貯めるのに、今度は、ワーキングホリデーの「ワーキング」ビザを利用して、働く決意をする。

ブルーべリ農場に飛び込んだが、とても稼げないとなったお話しは以前した。(最後にリンクあり。)

そして、手っ取り早く稼ごうと、メルボルンに行った。

昼間は、お寿司のTAKE AWAY(持ち帰り)のお店、夜は、日本食レストランで3か月働くことにした。

そこで、英語力のなさを痛感することになる

今まで、出会ってきた人々は、ほとんどは、自分と同じ旅行者だ。

お互いの話しもなんとなくだが通じる。勝手に、出来た感覚でいた

働いた、お寿司のTAKE AWAYショップは、メルボルンで働く地元の人がたくさんやってくる

ちなみにご存じの通り、SUSHIは、大人気だ。

私が働いていたのは、町の中心のフードコートで、手巻き寿司Sushi Rollを2.5ドル(140円)でほどで販売している。


ランチの時間帯は、大行列ができる

ここで、早くさばいていかなければいけないのだが、彼らの注文が早すぎて、私は、混乱した

これが働いていた寿司ショップ、右がもとえさん
こうやって、お仕事。

今までは、自分が買う側だった。

今度は、受け入れる側になり、たった、このお寿司を売るだけで私の今までの英語はなんだったんだろう?というくらいわからなくて、ショックを受けた。

そっかー、いままでは、仲良しお友達で感覚で、皆、私に合わせてくれて話しをしてくれたんだろう。

でもネイティブにポンと入り込んだら、また赤ちゃんだ

これは困った。

お客さんに最後にThank you というとよく「ターー!」と言われた。

え??ター??何だろう?と思ったら、一緒に働いていたベテランのもとえさんから、

「オージーの子供は、ありがとうってカジュアルに言う時に、ターって言うことがよくあって、大人も親しみとか込めてターっていうことがあるんだよ」

と教えてくれた。

これも働いてから初めて知った。

お馴染みの絵日記。日本食レストランの事や、疲れた様子が見える。
日本食レストランが忙しいとか、メルボルンで全豪テニスを見に行って、アガシをみた!

もとえさんは、仕事がとにかくできた。

常連のお客さんが遠くから見つけて、彼らが辿り着くころにには、お会計ができるところまでセットアップしていた。

ちなみにオージーは、わさびと醤油、甘酢ショウガが大好きで追加でたくさん買っていく。

もとえさんは、そういう細かい情報もすべて頭に入れていた。

彼女は、私と同じ、ワーホリだが、旅行には一切、興味はなく、ずっーーとメルボルンに滞在している。

旅行に出たから、英語がうまくなったと思ってたが、その考えは脆くも、覆された

そんなわけで、色々落ち込むのだが、メルボルンは、私が神と仰ぐ、ケネディおじいちゃん、おばあちゃんという心強い味方がいたので、そこで楽しく過ごせると、まだ英語を諦めてはいけないと思うのである。

この笑顔に何度も折れそうになった心を支えてもらった。

夜の日本食の仕事は、早さは求められないし、メニューを見ながらの注文なのでまだよかった。

ただ、手っ取り早く簡単に日本食屋で稼ぐという考えは甘かったと反省した。どの仕事も大変だ。

私は、Sushi Take away のお店の近くのバックパッカーに泊まりながら、とにかく働いた。

8人のミックスドミトリー(男女混合)に滞在した。

働いていると旅行をしてた時のように新たな出会いが少なくなる。

せめて、バックパッカーに暮らせば、そのチャンスはまだあるだろうと思ったからだ。

とにかく英語を話さなくてはならない環境にして数か月過ごした。

それはそれでとてもよかった。

2段ベットの上で同室の皆とパチリ!

無事にお金も貯まり、タスマニアを自転車で周った。

ある日、 LUNE RIVERというとこ ろが気に入り、8日間、滞在した。

そこで、 オージー、カナダ、イギリス人のいわゆる英語ネイティブが集まって盛り上がっていた。

お酒も入ってきたのもあるが、その人達の会話がびっくりするくらいテンポが早かった。

スラングもたくさん出てきて、何を話しているかわからなかった。

しまいには、これ英語?と思うほどだった。

もう酔っぱらってしまえ!とやけ酒した。

ここで私の目標ができた

「いつか、こんな状況に自分が、ぽんと放り込まれた時、私もここで気の利いたことを言えるようになるくらい英語をがんばる!」

あれは、1996年の4月のことだった。

あれから25年。

私はまだ細々と勉強している。

これから3回にわたり、その25年の勉強の様子を紹介したいと思う。

今日のまた学びとしては、「甘くみてはいけない、努力のみ」ということか!それでは次回をお楽しみ!

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語学勉強法
「語学勉強法」の記事一覧です。
  1. ブルーベリー農場で働く 2) 私の人生の神様、ケネディさん 3) 1年のバックパッカー暮らし 4)タスマニアの居心地よかった宿での出来事 5 )【独学】私の英語勉強法 基礎編 

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