【女子海外1人旅】ポーランド 最終回 港町にてホームステイ

海外旅行/ヨーロッパ
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私には、ポーランド人のボイテックという男性のお友達がいる

彼とは、その当時住んでいた、オーストラリアのシドニーで知り合った。

ボイテックは、とっても変わった人だ。

ノルウェーのオスロ大学の研究員でありながら、宇宙開発やら環境問題などの研究と題して、世界中を飛び回っている。

その当時の彼の拠点は、私と同じ、シドニーだった。

私が、ポーランドに元々興味があり、1人旅に行く話をしたら、まだ数回しか会っていない私をシドニーのカフェに呼び出し、地図を片手に旅程を組んでくれた

おまけに「家族のところに泊まりに行きな。」と自分の実家のある、グダンスク行きを強引に決めたのであった。

ちなみに誤解のないようにしておくが、ボイテックとは、別に恋仲でも何でもない

Gdanskと記されている、最北がボイテックのふるさとのグダンスクだ。

えるお洒落なカフェ車のある電車でグダンスク駅に到着した。

ボイテックの妹が迎えに来てくれた。アガタという名前だ。

もちろん初対面。でも、彼にとても似ていたのですぐわかった。

それにしても、やっぱり、こういういつでもWelcomeな対応って、すごいなと思う。

私は、それこそ、本当に沢山のWelcomeを世界中でしてもらった。

だから、今なら、自分が受けた温かいおもてなしを今度はやってあげたいと思っている。

しかし、例えば、私が海外に住んでいて、日本にいる両親や弟に、自分の外国人の友達がうちにとまりにくるからよろしくねー!とポンと丸投げすることはとてもできない。

今回、この家族の家に2泊させていただいて、本当に人の出会いって奇跡だしありがたいなと思った。

私の泊まったお部屋
私のバックパックとリビングルーム

どの国に行っても家庭訪問は、一番楽しい。

アガタは、4人兄弟のうちの1番下の弟と両親の現在4人住まい。

ロシア文学を専攻している大学生だった。

キッチンから見える景色。団地にお住まいだ。

両親も弟もとても温かみのある人で両親は、英語がほとんど話せないのだが、最後はやっぱり人間、気持ちで伝わるなって思う。

アガタとママ

一番末っ子のやんちゃな弟とガールフレンド

私もジェスチャー交えて、3種の神器、ポーランド語の

こんにちは、ドブリィ

ありがとう ジンクエ

おいしい バルゾ ドブレ

を駆使して、サバイバルした。

結局、旅行なら、これでなんとかなる。

ママは、手料理でおもてなしをしてくれた。

やっぱりおふくろの味は、どんな高級レストランよりも美味しい!

かわいいキッチン

スープがとっても美味しい。

あと自家製きゅうり漬けが絶品でそれを言ったら、お代わりを何度も持ってきてくれた。

そして、手作りレアチーズケーキは、絶品だった。

ポーランドのケーキをはじめとするスイーツは美味しい。

さすが4人のおっかさん!

ポーランド料理は、近辺の国の料理と似ている。

それは、ドイツ、チェコのような国々のものだ。

パンとじゃがいもと肉をよく食べる。

お肉は、カツレツや、煮込み料理の類だ。

カツレツとじゃがいも
グラーシュといわれる煮込み肉料理。

ママのもそうだが、レストランのスープも美味しい。

かぼちゃスープ
チキンスープにマカロニが入っている。

あとは、ピエロギという餃子のようなものをよく食べている。ママももちろん作ってくれた。

ピエロギは、こんな形。


味付けはやっぱりしょっぱいのが特徴。これは中世、塩が高級だった名残からきている。

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翌日は、日曜日で、パパも仕事がお休みだったので、マルボルク城に連れていってもらった。

平坦な平野を車で走り抜け訪問した中世のお城は、美しかった。

パパの運転する車でお城へ。

14世紀、ポーランドは、広大な領土があった。その頃、ドイツ騎士団が大きな脅威となっていた

そんな中、1410年にお隣のリトアニアもドイツ騎士団に困っていたので、連合軍を作って、戦った。

黄葉の美しいマルボルク城

その時の重要な防衛の要となったのだが、このマルボルク城だった。

戦いは、この連合軍が大勝。ポーランドは、ヨーロッパの大国に成長するきっかけとなる。

お城は、いかにも堅固そうな巨大な城。

そして、第2次大戦中には、ドイツ軍の爆破により破壊されてしまったのだが、ポーランド人の粘り強い努力によりに見事に復元されたそうだ。

これぞ中世の城!
ママ、アガタ、パパ

午後は、彼らの住む、グダンスクの港へ。

グダンスクは、ポーランドでも美しい町のひとつと言われている。

グダンスクの中心地。

バルト海に面しており、13~14世紀頃は、ハンザ同盟の一員として繁栄を誇っていた

港に面した場所は、レストランがいっぱい。

しかし、ここもヒトラー率いる、ナチスドイツの標的となった。

市街地の90%が焦土と化してしまったそうだ。

活気のある港。

港に面しているせいか、ワルシャワ、クラクフとは違う、何か明るさがあった。

ボイテックママは、敬虔なクリスチャンらしくグダンスクの町に行った時も教会に連れていってくれた。

この国もキリスト教が非常に根付いており、日曜のミサは老若男女でいっぱいだった。

こんな素的な家庭訪問を2泊させてもらい、ポーランドをあとにした

私は日本からのお土産で、よくお店などにかかっている表札で、表が「いらっしゃいませ」裏に返すと「ありがとうございました」と書いてある看板をプレゼントした。

ボイテックママは、早速それを玄関に掛けてくれて、お別れの際は、ママが看板を裏にして「ありがとうございました」を表現してくれた。

この出会いに感謝だ。

シドニーに帰ってから、ボイテックには、日本のカレーを作って、お礼をした。

彼とは、今でも連絡を取っていて、彼がポーランド人と結婚して、日本に奥さんと遊びに来た時は、皇居に連れて行った。

また、現在も彼が住んでいる、ノルウェーに遊びに行った際は、オスロ大学を見学して、学食にも連れて行ってもらった。

ボイテックの頭のよさそうな研究は続いていて、今度は、神戸を拠点に活動するらしい。

私が彼のポーランドの実家に招待してもらってから13年。

ポーランドは、私にとってちょっと特別な国だ。

そのポーランドが、今、ウクライナからの避難民をどの国よりも多く受け入れている

同胞という意識で手助けしているとは思うが、私には、ボイテックファミリーの優しさに触れているので、ポーランド人は、こういう温かい人がきっと多いんだろうなと勝手に思っている。

まだまだ、ウクライナの人々を「思いやる」日々が続いている。

ポーランド編は、これにておしまい。

お読みいただきありがとうございました。

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