今年のクリスマスもあっという間に終わり、月曜日に、仕事で出勤したら、やっぱり、東京の町は、すっかりクリスマスツリーが門松に乗っ取られていて、どこもお正月仕様に変わっていた!
さすが、切り替えの早さが自慢のJAPANだ。
クリスマスがメインの国では、家族と過ごすのが、クリスマス。
新年は、恋人や、お友達と過ごすことが多い。
日本と逆だ。
初めての海外での年越しも、クリスマスと同様、オーストラリアのメルボルンだった。
(クリスマスの素敵な話↓)
新年は、その当時、住み込んでいた、バックパッカーの旅人たちと過ごした。
私が働いていた、持ち帰りのお寿司屋さんと、日本食レストランは、12月31日は、どちらもお休みだった。
大みそかの0時、つまり、新年に、町の中心のヤラ川から、花火が綺麗にみえるというので、色々な国の人達と繰り出した。
その中にユーゴスラビアの留学生がいた。
1995年当時、まだ、この国は存在していた。
最終的には、2006年に現在の地図になり、6カ国にバラバラ分かれた。
スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、北マケドニアとなっている。
だから、この留学生の子が今、どの国の子になったのかは、知らない。
いずれにせよ、生まれて初めて出会った国籍の人だったので、たくさんその国の話しを聞いた。
東欧ってとっても魅力的だなと初めて興味を持った、そんな年越しだった。
カウントダウンが始まり、0時に花火が上がった。
皆で”Happy New Year!!”ハッピーニューイヤーと大声を出して、新年を迎えた。
花火は、やっぱり日本がすごいと思う。
メルボルンの年越し花火は、それなりによかったけど、日本の花火大会にはかなわないと思った!
でも、日本での年越しと違って、花火と共にドーンと新年を迎えるっていいなって思った。
ゴーストタウンだった、クリスマスと違って、人出も物凄く多く、すれ違う人達同士でHAPPY NEW YEARと声を掛け合って、皆が笑顔だった。
この年は、その後、タスマニアを自転車で周り、オーストラリアももう1回、半周くらいして、ついでに、ベトナム、タイなどの東南アジアデビューも出来た年になった。(最後に関連記事あり。)
その時は、まさかそんなふうになるなんて予想はしてなかったけど、あの年越しのワクワク感の中、なんか「今年は、よいことがありそう!」と思った第6感は、あたっていたんだろうと思う。
その前の1995年の年越しは、オーストラリアに行くために、資金を貯めていた、長野の車山スキー場だった。
スキー場も、大みそかは、リフトが動いて、仕事の終わった私達も、スキー場に行って、花火でのカウントダウンをした。
通常の空に舞い上がる花火と、水平に高く張った紐のようなものから、花火が地面に落ちるタイプ、(新潟の夏の花火大会では、ナイアガラと呼んでいた)のものがあって、カウントダウンをした。
花火のカウントダウンが、海外では、メジャーなんてその時は、知らなかった。
いずれにせよ、1995年の新年は、半年後にオーストラリアに行くという夢と希望に溢れていて、ワクワクしかない年越しだった!
話しがオーストラリアに戻るが、1月2日は、町は、クリスマス前の通常モードに一気に戻っていた。
生まれて22年間、それまで、「お正月三が日」という日本の風習が身についていたので、なんだか、すれ違う人達の、年明けの余韻のなさに戸惑った。
でも、彼らは、クリスマスイブから、お祝いモードだったので、1週間、ゆっくりして、年を越して、通常モードに感覚を戻したんだろう。
そんな中、またSUSHIを買いにくるお客さんがたくさん来そうだったので、2日は、忙しく仕事をした。
というわけで、本日は、オーストラリアと日本のスキー場での年越しのお話しでした。
次回は、もうちょっと他の国のお話しをご紹介します。
またねー---
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