2003年6月14日にパリから3時間飛んでやってきたモロッコのマラケッシュ。
そこから、あちこち駆け抜け、帰りの飛行機がマラケッシュからなので、6月29日に戻ってきた。
マラケッシュは、なんだか、懐かしく、行きつけの屋台に行って、「おっ、久しぶり、いらっしゃい」と言われたり、髪を切りに行ったりして、ちょっとモロッコ人になった気分になった。
そういえば、気が付いたら、足がダニに食われて、かゆくなっていた。
サンダルの日焼けもすごい。
そんな中、マラケッシュは、たくさんの人々が温かく迎えてくれた。
私の大好きなオレンジジュース屋さんも、あの薬売りのおじいちゃんも皆、変わらずそこにいた。
出国の日の朝食は、オレンジジュースとガレットにした。
とっても美味しかった。
こうして、7月1日にモロッコの旅が終わった。
18日間のモロッコ。
それにしても楽しかった。
鼻血が出るほど暑い中、奇人変人を見た、カラフルな町、マラケッシュのジャャマ・エル・フナ広場。
地元民だらけのバスに乗り込み、だんだん砂漠の民になった。
アラビアのロレンスの町で、サイクリングをして、「オアシス」というのを見た。
身元を偽り、鼻血を出しながらモロッコ男性を、かわしていった日々。
サハラ砂漠の星降る夜空の元、ぐっすり眠れた夜は、最高に気持ちがよかった。
翌朝の眩しい、黄砂と青空のコントラストがすごかった。
そして、その砂漠のザゴラで、偶然立ち会うことになった、結婚の宴。
この出来事が、私の中で一番忘れられないものだ。
イスラム教という宗教の中で生きていく人達。
男性の言い分、女性の立場。それぞれがとっても考えさせられるものだった。
あの、黒詰めのヒジャブを着た女性達が一同に会した部屋は、匂いも一緒に記憶が蘇るほど、今でも記憶に染みついている。
めちゃくちゃな、相乗りタクシーの仕組み。自分の常識は、他人の常識ではないと改めて実感。
そして、「生きている」と感じる大好きな市場、スークの散歩。
急遽予定変更の町のインターネットカフェで値段交渉であけくれた1日。
常に、値段交渉は、本気だった。
迷路だった、FESの旧市街。
疲れすぎて立てなくなって、モスクの前でちょっとした騒ぎになった。
ノーマークだった、首都RABATでの3人の南米からの旅人との出会い。
ちなみに、コロンビア人の女性のアレキサンドラとメキシコ人の兄弟の弟のヤコブとは、またこの4カ月の旅の最後に再会している。
約束通り、ロンドンとパリに私が立ち寄った際に会った。
織田裕二似のルイーズは、連絡先も聞いてなかったので、それっきり、全く連絡を取ってない。
しかー--し、今回、このブログをFacebookにシェアした際、私とつながっている、アレキサンドラとヤコブを通して、なんとなんと、ルイーズが「懐かしいーーー!元気ー?」と連絡をくれた。
SNS時代ってこういうのがあるからすごい。
19年ぶりに連絡つながった私達。
ルイーズは、織田裕二ではもうなかった。(笑)
でも相変わらず、可愛い笑顔。娘さんが2人いて、メキシコで幸せに暮らしているそうだ。
人生でたった2日一緒だった、私達がこうして19年の時を経て、連絡がとれたことに感謝だ。
そして、カサブランカでのフランス人のマガリとの出会い。
やっぱり1人旅は、出会いの宝庫だ。
パリから、たった3時間飛んだだけで、全く違う世界があった。
きっと今日もモロッコでは、たくさんの人が元気にオレンジジュースを売ったり、バスの車掌さんをしたり、ラクダと共に、サハラ砂漠で過ごして、たくましく生きていると思う。
またモロッコに行きたい?と聞かれたら、私の答えは、YESでもNOでもある。
NOという理由は、あれ以上、いい旅は、もうできないと思うからだ。
私は、どの国に行っても、もう2度と来ることがないことを想定して、200%楽しむことにしている。
これは、私の旅のポリシーだ。海外添乗員でも、お客さんにその心得を伝えている。
もしまたこれれば、それは、ラッキーだ。
おまけのようなものだ。
でも大抵は、そんなに何度も来れることもないと思っている。
だから、思い切り、もう2度と来なくてもいいと思うほど、その時の旅を楽しんでいる。
でも、もしまた行けるチャンスがあれば、もちろんYES!また行きたい。
このモロッコの旅のあとは、クロアチア、スペイン、ポルトガル、ロンドン、スイス、スコットランド、アイルランド、フランスと3カ月ほど旅行するが、それはまたそれぞれ、別の機会にお話しするとしよう。
2/15から1か月以上にわたり、ご紹介した、女子1人旅 モロッコ18日間を駆け抜ける!シリーズ。
お楽しみいただき誠にありがとうございました。
最後にモロッコでいつも言っていた、「ありがとう」を現地語で叫び、これにてモロッコシリーズおしまいです。
ショクラン、モロッコーーーーーー!!
おしまい。
コメント