2012年2月末から1か月ほど、ヨルダン、イスラエル、インド、パリ、シンガポールを放浪してきた。
イスラエルの安息日に、エルサレムにいたら、大変なことになると知り、慌てて、観光客の多い、エイラットというところに行った。↓
エイラットでリフレッシュして、エルサレムに戻った。
「エルサレム」
言わずと知れた、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地。
旧市街は、直径1km未満でしかない壁で囲まれた迷路のようなところ。
さっきまで、全身を布で覆いかぶさった女性達が買い物をしてるムスリム地区にいたと思っていたら、真っ黒スーツ、もみあげクリクリのたくさんいる、ユダヤ人地区に入っていた。
そうしているうちに、神父さんが歩いて、キリスト様のイコンが売っている、キリスト教徒地区に入り込んでいる。
地図を何度見て歩いても必ず迷い込むのが、このエルサレムだ。
数日に渡って、悩まされた、雪や雨の悪天候からようやく逃れ、久しぶりのお日様も見えてきた。
エイラットで調達した、長靴は必要ないかなとも思ったが、相変わらず寒いので、防寒対策になり、足元がぽかぽかして、助かった。
迷いながら、1つ1つ目的地に向かって、歩み出した。
「ダビデの塔」は、歴史的な要塞。
紀元前2世紀頃から建設が始まり、ローマ帝国やオスマン帝国の時代に増築&改修された。
中世に十字軍やイスラム勢力もこの塔を使っており、様々な時代の建築様式が見られる。
現在は博物館として一般公開され、エルサレムの歴史や考古学的遺産を展示している。
「ヴィア・ドロローサ(悲しみの道)」は、イエス・キリストが十字架を背負い、ゴルゴタの丘(現在の聖墳墓教会)へと向かったとされる道のこと。
この道は、現在14の「ステーション」と呼ばれる場所に分かれ、各ステーションでイエスが受けた苦難が描かれている。
イエスの墓がある「聖墳墓教会」は、イエスが十字架を背負って歩いた悲しみの道、「ヴィア・ドロローサ」の道中にある。
この教会は、キリスト教において最も神聖視される場所の一つ。
イエス・キリストが十字架にかけられた「ゴルゴタの丘」と、復活したとされる墓があると伝えられている。
聖墳墓教会は、世界中のキリスト教徒にとって重要な巡礼地であり、その日も多くの巡礼者が訪れて祈りを捧げていた。
そしてビジュアルで、インパクトのある、黄金色のドームを持つイスラム教の聖地といわれる「岩のドーム」を目指して歩いた。
この建物は691年にウマイヤ朝の第5代カリフ、アブドゥル・マリクによって建てられ、イスラム建築の傑作とされている。
岩のドームは、イスラム教徒にとって極めて重要な場所だ。
内部には「ムハンマドが天に昇ったとされる岩」があり、イスラム教において非常に神聖視されている。
この岩は、ユダヤ教の伝承においてもアブラハムが息子イサクを捧げようとした場所とされ、古代ユダヤ教の神殿(第一神殿、第二神殿)があった場所とされている。
このため、岩のドームはイスラム教、ユダヤ教、キリスト教のいずれにとっても特別な場所であり、歴史的・宗教的に重要な意味を持っている。
現在もエルサレムのランドマークとして、またイスラム建築の象徴として知られており、観光名所や信仰の場として多くの人々が訪れる。
岩のドームは、時間制限のある中、セキュリティチェックを受ける必要があり、なんだか物々しい感じ。
いざ、目の前にそびえた、あの金ぴか度は、眩しすぎた。
すでにここまでで、もうお腹いっぱいっていうくらい盛りだくさん。
しかし、このエルサレムという地は、私にとって何はともあれユダヤ教の「嘆きの壁」のインパクトが強烈だった。
2000年近く国を持たず、迫害されながら生きてきたユダヤ人。
第二次大戦後、他国と何度ももめながら、ついにイスラエル国を建国した彼らにとって、「嘆きの壁」は、聖地である。
壁に向かって、ユダヤ教の人達が体を前後に揺すり、聖書を読みながら嘆いている光景はテレビで見た事ある。
実際に目の当りにして本当に多くの信者がひっきりなしにきている。
その数にまずびっくり。
壁は、男女に分かれ、男性は、全体の3分の1を占めている。
セキュリティチェックを受け、壁の中に潜入。
男性はお馴染み、黒スーツの正装の人もいれば、キッパと呼ばれる小さな帽子をかぶる、というより、頭に載せてカッパみたいな人もいる。
女性は、キッパはかぶらず、正装は黒の長めのスカート。なんとなく学生の制服のようだ。
とにもかくにも、ひっきりなしに来ている人は皆全員もれなく、聖書を片手にその一部分を唱えながら、前後に揺れて読んでいて、中には泣いている人もいる。
また、何故か壁に向かったまま、後ずさりして壁から去って行くという、謎の行動をする人もいた。
この光景は、無宗教な日本人の私の目には、異常に光景に映った。
とにかくなんだか、その勢いにすっかり私はのまれてしまった。
なんだか、すっかり圧倒されて、私は、嘆きの壁を去った。
そして、旧市街に戻った。
すると、イスラム教のお祈りの合図アザーンが聞こえてきて、しゃがんでお祈りしている人がいる。
「アッラーフ アクバルー-(アラーは偉大なり)」
そしてそのすぐ近くでは、十字架を切りながら祈っているキリスト教がいる。
これぞエルサレムだ!!というのを肌で感じた。
日本の遥か西の中東の地では、今もこんな世界が普通にあるんだと、びっくりのエルサレムだった。
つづく
<思い出ブログ>
なんとなくポーランド。