2012年2月末から1か月ほど、ヨルダン、イスラエル、インド、パリ、シンガポールを放浪してきた。
ヨルダンを満喫して、いよいよイスラエル、エルサレムへ。前回のお話し↓
国境越えの朝のヨルダンの首都アンマンは、3月1日というのに、なんと雪!
そんな中、イスラエルの国境、キングフセイン橋までは、わずか45分で到着した。
まずここでパスポートチェック。
「こち亀」に出てきそうな、おじさん警察官が、私のパスポートの生年月日を見て、自分と同時、38歳だって言ってきた。
少なくても、50代に見えたので、びっくり仰天&なんだかショックーー!!
「我々は、同級生だ!」って嬉しそうにして、急に親近感を覚えたのか、スリスリ寄ってくるので大騒ぎ!
友人のミユキが一緒にいてくれたので、私もミユキにすがりながらその場をようやく去れた。
一人旅じゃなくて、今回はよかったー!!
こうして、ヨルダンを出国した。
バスに乗って、ちょっと進んだら、イスラエル。
島国の私は、この陸越えがやっぱり不思議。
イスラエルの入国は、とにかく、厳しいと聞いていたので、覚悟していた。
しかし、面接風に、渡航理由を聞かれ、その後、スタンプをすぐに押してくれて、入国成功!
イエーイ!
ずっとずっと夢見たイスラエルにとうとう、足を踏み入れることができた。
しかし、大変だったのは、そこからだった。
まず、ホテルまでの車を手配していたので、それに乗り込み、エルサレムへ。
遠くには、旧市街の金ピカの岩のドームが見え、とうとう来たんだと、感動にひたる。
ホテルは、AGODAで予約していた。
予約した住所で降ろしてもらった時は、雪が降りそうな寒さに大雨。
ひとまず、この大荷物を預けたい!とホテルに入ろうとするものの、ホテルがない。
住所の場所は、廃墟になっていて、周りもそれらしき建物なし。
すると、あのユダヤ教独特の、黒い帽子、黒のスーツ、もみ上げがクルクルしている、ユダヤ人がずぶ濡れになりながら、歩いてきた。
この人以外、誰も周りに人がいないので、逃してはならぬ!とExcuse meと英語で話しかけた。
しかし、英語がわからないと、あっさり振られた。
なんか、すごいその態度が冷たくて、ガーーん。
どうしようと、見渡すと、小さなお店があった。
そこに駆け込み、住所を示して、ここに行きたいとまた英語で聞いてみた。
しかし、ヘブライ語のこの国。
算用数字やアルファベットも読めないと言われて、収穫なし。
一体ホテルがどこなのか、さっぱりわからない始末。
もう物凄い冷え込み。
雨も止むどころか、強くなってくるしで、途方にくれる余裕もなし。
これは、もうこのホテルを諦めた方がいいということになった。
そこで、近くの賑わっている通りでホテルを探そうと、20kg近いバッグパック担いでいざ雨に突撃。
両替もしてないから、タクシーにも乗れない。
この冷たい雨、靴もすぐに冷たくなり、バッグパックも雨を含んで重くなり、手も足もかじかんで来る始末。
ふと、そうだ、ここは、エルサレム。
これは、神からの洗礼?なんて思っちゃう私。
やっと見つけた、薄暗いホテルに駆け込んだ。
レセプションにいた、おじさんに、今晩、部屋があるか?そして、値段を聞いた。
イスラエルシュケルというお金の換算レートをまだ把握していない私達。
あとで、よくよく考えたら、通常のホテルの値段の倍の値段だった。
でも、物凄い寒さで、ずぶ濡れで、震えている状態の私達。
雨から逃れるのであれば、幾らでも払いますって、恰好が物語っていた。
ホテルとしては、そんな私達は、いいカモだ!
悔しかったけど、あの時は選択の余地は全くなく、仕方がないというしかない。
ようやく震えながら窓のない、暗い部屋に入り、ミユキがシャワーを浴びようとしたら、水しか出ないと半べそ状態。
あのぼったくりオヤジに文句を言いに行くと、今、ボイラーをつけたから、20分待てと言う。
ミユキは、裸のまま、待っていたものの、30分経っても冷たいまま。
そのうち、部屋は雨漏りしてくるし、Wi-Fiも入ると言うのに、入らない。
怒って文句を言いに行くと、ぼったくりオヤジ、「この寒さでボイラー温めるのに時間が、かかる」と逆ギレする始末。
挙げ句の果て、「お前ら、ジャパニーズだから、特別な部屋をあげよう」と、元々ぼったくってるくせに、恩着せがましく広い部屋を自慢気に提示してきた。
とにかく、温かいシャワーを浴びたかったので、移動した。
しかし、「今、ボイラーを入れたから、お湯はすぐ出ない」と移動してから、言いやがる!!
お金がかかるから、使わない部屋のブレーカーを全て落としているという徹底した節約ぶり。
あー、ヤダヤダ!寒いよ、温めさせてー!!
色々諦め、暖房で部屋を温室にし、待つこと、2時間。
ようやく温かいシャワーを浴びれた。
ミユキが、裸になってから実に5時間経っていた。
あんな思いでシャワーを浴びた記憶は、後にも先にもこれだけだ。
気がつけば夕方。
食事もしてなかったので外に出ると大雨、そして、吐く息真っ白。
隣の食堂に駆け込み、魚のグリルやケバブを美味しく食べて、ようやく笑顔になれた。
夢にまでみたエルサレムの旧市街が道を挟んだ向こう側にあるのに、寒さと雨で結局この日はたどり着けず、エルサレムの洗礼を受けて終わってしまった。
そして、予約して、見つからなかったホテルについて。
AGODAにクレームを出したが、住所もあっていて、存在する、間違えているのは、YOUたちだとそっけない回答しか得られなかった。
結局、謎のままで終わり、返金もされなかった。
長く、辛い、イスラエルの初日だったのでした。
つづく。
<思い出ブログ>
国境越えシリーズ:ブルガリアからルーマニアの電車の国境越えは、実にスムーズでした。