1997年の4月の23歳の時、私はクルーズ船で働くことになり、沖縄に飛んだ。
今では、クルーズ旅行は、メジャーだが、その当時は、日本では、「飛鳥」や「にっぽん丸」くらいしか有名ではなかった。
イメージとしては、加山雄三張りのお金持ちが定年後、悠々自適とクルージングするというもので、一般庶民が気軽に行けるものではなかった感じがする。
そんな日本でクルーズを身近なものにしたいというシンガポールの会社が日本に乗り込んできたのである。
コースは、沖縄ー台湾の4泊5日クルーズ。
私は、オーストラリアのワーホリですっかり旅行に目覚め、22歳の時に日本に戻ってきたあとは、バイトをしてお金が貯まれば、アジア旅行をしたりと、常に世界地図を広げて次の旅行先に夢を膨らましていた。
そんな中、Japan Timesにクルーズ船スタッフ募集という求人をある日みつけ、クルーになった。
契約条件はこんな感じだ。
職種:サービススタッフ
給与:US$1,000、(当時のレートにすると12万円ほど)
非課税により天引きなし。
契約期間:1年 5か月船上生活、1か月休暇x 2 ターム
要するに、5カ月間、船の中で過ごしその間はお休みなしで、その後、1か月丸々お休み。
給料は、額面的には安いが、食費も、宿泊費も込みであり、使う場所もなさそうだからいいだろう!と迷わず契約書にサインした。
若いってすごい!笑
ちなみに採用試験は、面接1回のみの、英語と日本語の集団面接だった。
応募条件としては、
*一定レベルの英語コミュニケーション能力
*約1年間、船上業務ができること
*クルーズ業務経験不問
というもので、門戸は、狭くなかったと思う。
1月に面接を受け、2月14日に採用通知がきて、「船は、2月21日に初出航する為、早く来てください」
という、はちゃめちゃなスケジューリングだった。
当然、そんな急に行ける訳はなく、契約書にサインしたりで4月にようやく、沖縄に飛べることになったのである。
船は、予想以上に立派だった。
乗客定員1,375人、乗組員数600人。
つまり、2,000人も人が乗れる船だ。
船は、スイートルームを含む、キャビンが約300室。
450人のゲストが一度に食事を取れる大きなレストランを含め、3つのレストラン。
エンターテイメントもマジック、トークショー、コーラス隊が歌うステージあり、カラオケ、麻雀ルームもある。
その他、2つのプール、ジャグジー、フィットネスセンター、バスケットボールコート、卓球場、ゴルフ練習場。
そして、私の所属するサービススタッフチームのエリアは、免税品も含む、ショッピングアーケードセクションであり、ビューティーサロン、子供が遊べる、キッズコーナーの設備がある。
まあ、立派なもんだった。
クルー600人の内訳は、
300人 フィリピン人
200人 中国人
残りの100人にオージー、北欧などのいわゆる「白人」。
日本人は、なんとたったの4人。
全てがびっくりの初日だった。
そして、私はここで、人種格差というものを痛感する体験をすることになる。
この続きは、長くなりそうなので次回までお楽しみ!
本日のご乗船ありがとうございした。
コメント
[…] 【海外就職】クルーズ船で働く その1 […]
[…] 【海外就職】クルーズ船で働く その1 【海外就職】クルーズ船で働く その2 著者 […]