ルーマニア旅行、最終回。前回のお話し↓
ルーマニアは、吸血鬼、ドラキュラの印象が強いという人が多い。
私は、ドラキュラの小説を読んだことがなく、ドラキュラといえば、藤子不二雄の「怪物くん」に出てくるものくらいしか知らない。
シギショアラは、ルーマニア人が観光客に必ず薦める町なのだが、その理由が、観光地化されてない素朴な街並みというのと、吸血鬼ドラキュラのモデルになった人の生家があるということらしい。
ブラショフから120km。ここもドイツ系移民の影響が多く残っている。
ここでは、歴史的な建物を改築した、旧市街の中心にある、いいホテルに泊まった。
その名も、ずばり、町の名前と同じく、「シギショアラ」
シギショアラは、とにかく町の色使いが素晴らしい。
パステルカラーの色彩に心をつかまれる。
今回の旅、思い起こせば、トルコのイスタンブールからはじまり、ブルガリアを駆け抜け13日目に入ったが、ここで初めての雨に降られた。
気温が一気に下がり、翌日は、とうとう雪景色となりそこから一気に寒くなった。
以前、ルーマニア料理のお話しをした際、このシギショアラで、陽気なギリシャ人とルーマニア人の男女4人と一緒に飲んだ話しをした。
ラテンの人たちから見ると、こうやって1人旅しているのは、考えられないとまた言われた。
私の1人旅は、順調だ。
そんな楽しい夜の宴の跡のもう一つの楽しみは、夜散歩だ。
ヨーロッパはどの町も、見せることを意識しているせいか、綺麗で夜になるとライトアップするので私は時間の許す限り、昼間と夜の町を歩いて、違う色を味わう。
ルーマニアも例に漏れず、私を一日中飽きさせなかった。
さて、私のルーマニア旅、いよいよ最終日。シナイアへ向かった。
世界の車窓の旅は、雪景色に変わっていた!
ここは、スキーリゾート地で、ちょうど10月初旬のこの時期は閑散としていた。
今回の宿は、「ペンション アナ マリア」。
私だけがその日のお客さんだったようで、宿のご夫婦の、ウェジェンさんとイワナさんが、おしゃべりでもてなしてくれた。
雪景色なので、のんびりしようと思ったのだが、
「ここに来たなら、ペレシュ城に行きなさい」
とご夫婦がやたら言うので、ランチも食べずに向かった。
ルーマニア王室の夏の離宮とのこと。
外からちらっと眺めた。
実は、お城よりも、個人的にシナイア僧院にもっと興味があったので、そこに向かった。
入場料を払おうとしたら、おじさんが、「いらないよ」と言ってくれた。
ろうそくを買って、ここまでの旅の感謝の意を捧げた。
あまりにも寒いのと、お腹がすいたので、カフェに入り、揚げたてドーナツとホットワインをぐいっと飲んだ。
ルーマニア最終日、ランチをまともに食べれなかったので、最後の晩餐は、ステーキをがっつり食べたのであった。
ルーマニアでの最後の夜は、このペンションのご夫妻のウェジェンさんとイワナさん通して、ルーマニア人の明るい素顔に触れられた。
色々な話しを聞いた。
チャウシェスク時代は、とにかく物が手に入らず、貧乏な思いをしたとのこと。
今は、1人娘さんも結婚してフランスに住んでいるので、旅行するのが楽しみだそうだ。
ヨーロッパは、地続きなので車で果てしなく行けるのがやっぱり羨ましい。
お話しをしながら、奥さんが、ルーマニアを代表するお酒と言われる、スモモの蒸留酒、「ツイカ」を振舞ってくれた。
これは、アルコール度50度の強いお酒。がつんときた!
二人の結婚式の写真をはじめ、ご夫婦の思い出のいっぱい詰まった、たくさんの写真を見せてもらい、ルーマニア人の生活を思わぬ形で最終日に知ることができた。
ルーマニアは、総人口のうち、3分の1の700万人の人達がスペイン、イタリア、フランスなどの欧州大国で働いているとのことだった。
コマネチとチャウシェスク大統領しかイメージのなかったルーマニアは、今や、カラフルな沢山の思い出いっぱいの国になった。
ブルガリア、ルーマニア旅行をお楽しみいただき、ありがとうございました。
ウクライナ侵攻の戦争が早く終わってほしいと思い、ポーランドを含む、ルーマニア周辺の3国を紹介したが、侵攻後3か月経っても、ちっとも終わる気配がなく、残念極まりない。
最後に、恒例の、現地語、ルーマニア語のありがとうと叫んで、締めたいと思います!
「ムルツメスク!!」
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