ポーランドの旅が始まった。
次の目的地は首都ワルシャワだ。この地図では、WARSAWのところがワルシャワ。↓
クラクフ(Cracow)からワルシャワ(WARSAW)までは、電車で3時間。
電車の旅は快適。
食堂車のような、「カフェ車両」があり、賑わっていた。
ワルシャワ中央駅に着いて、バックパックを担いで、町を歩いていたら、無機質な建物があった。
文化科学宮殿という。↓
1952年に4年かけて作られたこの建物は、スターリンの贈り物らしい。
ポーランドは、1989年に社会主義が崩壊しているが、それまで共産主義だったので、その当時のソ連があれやこれやと首を突っ込んでいたようだ。
高層建築が少ないワルシャワには、調和がとれておらず、権威主義的な建物だ。
やはりポーランド人には不評らしく、「ソビエトの建てた、ワルシャワの墓石」と呼ばれているらしい。
ポーランド人の友人に「ワルシャワは、戦争でほとんどの建物が壊されてしまっているのであまり面白みがないよ。」と言われたことを思い出した。
第二次世界大戦の際、ワルシャワ市民は、優勢なナチス・ドイツ軍を相手に2カ月間戦い続けた。
その抵抗の激しさに驚いたドイツ軍は、火炎放射器で片っ端から焼き払った。
20万人以上の犠牲者を出し、8割以上の市街が灰となった。
首都ワルシャワは都市の形をとどめぬまでに破壊されたという。
なるほど、悲しい歴史。
今のウクライナがそうなりませんようにと祈った。
そんなわけで、ワルシャワについて早々、「これは、期待しないで行く方がよさそう。」と思った。
しかし、旧市街に向かったら、びっくり。
戦争で破壊される前の町の再現を見事にしていた。
「これぞ、東欧!」という、綺麗な景色がそこにあった。
壁の傷、くぼみも全て再現したという。すごい!
古いもの、歴史あるものに敬意を示しているのがヨーロッパの素晴らしいところだ。
だからこそ、何世紀にも渡って町がそのまま残されているのだと思った。
ワルシャワでは、王宮広場の真中にあるかわいいホテルに泊った。
私の持っていたガイドブックは、その当時から更に、10年前に買った「地球の歩き方チェコ&ポーランド」だった。
10年前のガイドブックに記載されている、物価は3倍から4倍になっていた。
東欧は安いイメージがあったが、そうでもなかった。
特にホテルやコーヒーの値段が割高に感じた。
この泊まったホテルも10年前のガイドブックでは安めの設定だったので電話をして予約をしたのだが、記載されていた1泊アメリカドル33ドルが、125ドルまで10年で値上がりしていた。
でも、部屋から眺める王宮は飽きる事がなく、素晴らしかったので満足だ。
ポーランドに行きたかったのは、私の大好きなショパンが生まれ育った国というのもある。
ピアノをちゃんと15年ほど習い、今は、ショパンの「バラード1番」を弾ける、大きな目標を掲げて、少しずつだが練習している。
ポーランドの京都、クラクフでは、ヨーロッパでよくある、教会のコンサートに行った。
教会とクラシックってベストマッチだと思う。
音響もいいし、あの荘厳な雰囲気の中で聞くクラシック音楽は実に味わいがある。
ショパンのピアノ曲、モーツァルトの三弦楽奏を楽しんだ。
ワルシャワではショパンの心臓が祭られている教会に行った。
偶然にもこの10月17日は、ショパンの命日ということを知った。
ワルシャワの2泊では、気の向くまま、たくさん歩いた。
ポーランド人の友人家族が住む南の港町、グダンスクに行く為に、駅で切符を買いに行った。
ポーランド人は、あまり英語が話せないせいか、外国人の私を見るとよそよそしい態度になったのを感じた。
英語を話せる若い人はとてもフレンドリーで、英語を話したいという意欲を感じる。
駅で切符を買う時に最も手こずった。
英語を話せる人がなかなかおらず、紙に行き先を書いて、ようやく買うことができた。
駅員が全く見当たらずどのプラットホームに行けばいいかもわからない。
ようやく若者をつかまえ、教えてもらった。
20分遅れで電車が来た。
4時間半の列車の旅は最初あまりにもスローなので果たして今日のうちに目的地につくのだろうかと心配になるほどだった。
車内は、おしゃれで、「カフェ車」は、今どきの言い方をすれば、「映える」紫の車両だった。
私はここで、スープとパニーニを食べた。
結局、どれくらい遅延すると思っていたが、たった20分遅れでグダンスクに到着した。
本当は、普通に走れば、4時間もかからないんじゃないかなと思った。
「そもそもの時間設定」がなんかおかしいんだと思う。
こういうところに、社会主義の名残を感じるのだった。
つづく
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