今日は少し重たい話し。
記者をしている弟が映画を作った。
『「安楽死」を考える スイスで最期を迎えた日本人 生きる道を選んだ難病患者』。
進行性の難病、パーキンソン病を患い、安楽死するためにスイスに渡った64歳の女性のドキュメンタリー映画だ。

先日、「TBSドキュメンタリー映画祭2025」のトーク付き特別試写会に行ってきた。

この議題は、元々は、報道特集という番組の特集として取り上げられた。記者のコメントも含め、30分ほどの内容だった。
それを見た時に、このような制度を使って実際に安楽死に至った様を見て、まず驚いた。
映画版の今回は、68分。
映画では、最期に至るまでの経過がじっくり描かれていた。
自分も一緒にその時間を過ごしたかのようにさえ思えた。
病気の状況がいかに大変か驚いた。
コントロールできない、手の震えや、薬の後遺症の痛みの話しは、心がぎゅっとなった。
そして、治る見込みのない状態で痛みと向き合わなければいけないという事は、本当に大変な事で、私も彼女と同じような状況になったら、きっと同じ選択をしたと思った。
私は、今、外国人相手にガイドをしているのだが、仏教と神道の違いは?と質問される事が多い。
それぞれ、細かい違いがあるので、絵を見せながら説明するのだが、最も大きな違いとして話すのが、
神道は、死は、穢れとされる。英語で説明する際は、Death is taboo in Shinto.
とタブーという言葉をあえて使っている。

対して、仏教は、人は必ず死ぬという「諸行無常」の考え方なので、死というものを受け入れる。
よって、お葬式は、お寺で仏教式に行われ、神社では、行われない。
対して、神社は、子供が生まれた時のお宮参りや、結婚式など「死」から遠い行事で行くと話す。
また神道は、日本古来の宗教、そして6世紀になったインドから伝わったのだが、仏教。
よって、日本人の根底にあるのが、神道の考えと話している。
なので、安楽死という話題は、この日本人の根底にある、死がタブーということが、大きく影響していて、なかなか論議するところまでいかないのだと思う。
亡くなった母は、癌だったのだが、闘病に途中疲れてしまい、「あー、辛いなー。こんな思いするなら、一粒薬を飲んで、パッと死にたいなー。医学の発展も大事だけど、痛くて辛いまま生きる人達が辛い思いをせずに、すぐに死ねる手助けしてくれる医学の発展もほしい。」とよく呟いていた。
「痛みに耐えて、がんばれ、病気に負けるな!」なんていう励ましは、痛みがない人が言う無責任な言葉だと思う。
また、母は、最期は、ホスピスに入り、緩和治療を選び、延命治療を拒否していた。
私達家族は、その意思を尊重していた。

しかし、いざ、もう長くないかもとなり、ホスピスに入る母の入院の手続きをした際に、母の事が大好き過ぎる父が、約束していた、延命治療拒否というところの承諾のサインをしなかったことが入院直前に発覚した。
父は、趣味も生き甲斐も母だったので、母に先立たれるのが耐えられなかったのだと思う。
事前に話していた事と違ったので、医師が、母に再確認にやってきた。
父のこの行動に母は、怒り狂った。
「私と40年近く一緒にいて、私の一体何を見てきたのか?あなたのこの行動は、これまでの結婚生活を全て否定するに等しい、裏切り行為だ」
とそれは、それは、恐ろしいものだった。
責められた父は、子供が怒られたかのように小さくなり、じっと耐えていた。
それは、16年経った今でも、はっきり状況が目に浮かぶ。
安楽死を本人が選んでも、望まない周りの人もいて、全員が納得いくものにはきっとならないと思う。
結局、自分の人生なので、自身が納得する形で終えるしかないのだと思う。
そうはいっても、安楽死を選べるのは、病気になってからだ。
事故や、震災などである日突然、命を奪われる場合は、安楽死なんて終わり方はできない。
安楽死を考えることができるのは、ある意味、命としっかり向き合えて、エンディングを自分で決められるので、幸せな事なのかもしれない。

3月11日の震災や、東京大空襲から80年というニュースを見て、ふとそんな事を思ってしまった。
結局、日々に感謝して、明日何があるかわからないので、今をしっかり生きて行くのが、安楽死などを考えると同時に大事な事なのかなって思うのだった。
これまで、あまりメディアでも取り上げられることがなかった、安楽死。
今回、弟が取り組んできた事がこのような形となって、亡くなった両親が生きていたら、とても喜んでいただろうななんて思う。
もし機会があれば、映画を見ていただければと、身内びいきではありますが、宣伝させていただきました。
<思い出ブログ>
また3月11日がやってきました。合掌