新シリーズ 通訳ガイドMutsi(ムッツィー)の日本探検隊!!

通訳ガイド

本日から、新たにご紹介するジャンルが増えました。

その名も「通訳ガイドMutsi (ムッツィー)の日本探検隊!」

コロナ騒動も3年という長き時間を経て、ようやく新たな日常の一部になってきた。

私は、30歳の時にニュージーランドに住んでいたのだが、その頃に将来、何がやりたいか考えていた。

そして、パッと頭に浮かんだのが、「おばあちゃんになったら、着物を着て日本をガイドとして案内したい!」ということだった。

それよりも更に10年遡った、20歳の頃、図書館で「英語を使う仕事」みたいな本を読んでいたら、「通訳案内士」という国家資格の存在を知った。

これを取得して、英語でガイドなんて素敵!と思って、通信教育を受講することにした。

しかし、まず英語の試験が英検1級並みの難しさ。それも選択問題ではなく、がっつり書かせる内容で、とても自分の実力では無理だと瞬間的にわかった。

また、英語以外にも、「日本地理」、「日本歴史」、「一般常識」の勉強も必要という。

これが1次試験。(その当時の話し)

2次試験は、口述試験。

海外添乗員の同僚が、この資格取得の為に、仕事を辞めて、ハロー通訳アカデミーという、専門学校に通い始めていた。

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学費も100万円くらいかけていた。その頃のこの資格の合格率は、5%を切っていた。

つまり、超難関資格で、生半可な気持ちでは、取れなかったのである。

こりゃ、私には到底無理だなーと思い、私の通信教育も本棚の飾りとなった。

それから時代は大ー----きく変わった。

日本国が、外国人観光客に目を付けるようになり、「観光庁」を設立したのである。

2008年のことだ。

その頃から、日本がようやく、「観光立国」の推進体制を強化する動きが出来始めていた。

海外の観光客が増えれば、ガイドが必要になる。

これまでの難関な内容を持続しては、ガイド不足が明らかだ。

そこで、問題形式もガラッと変わり、選択問題のマークシート方式になった。

また、試験免除制度ができた。英検1級やTOEICの基準点数を取得していれば、英語は免除。

私は、一般旅行業務取扱主任者(現:総合旅行業務取扱主任者)という、それこそ当時、合格率9%くらいの国家資格を20歳の時、取得していた。(これはちょっと自慢!)

この資格取得の為の勉強は、まだ添乗員の仕事がそんなになかった時間を活かして、挑戦した。

朝、起きたら、顔を洗うよりも前に、机に向かい、晩までひたすら1年勉強して取得した私の努力の結晶だった。

この苦労が、20年近く経った、別の資格を取るために大いに役立った。

というにもこの資格があれば、日本地理の試験も免除になるのだ。

4科目の勉強から2科目に絞られた。

日本歴史と一般常識。

だいぶ、追い風だ!

20歳の時に、ガイドに憧れたが、難関過ぎて、速攻諦めた。

30歳の頃は、やっぱり将来日本で英語のガイドがしたいなって漠然思っていた。

40歳の頃に、色々な条件がそろって、私にも通訳案内士の資格が手に入りそうっというところまできた!

そこで受験!

1年目は、不合格。

翌年、色々な免除制度を駆使して、2年がかりでようやく、通訳案内士という国家資格を取得した。

42歳のことだった。

その頃は、もうインターネットが当たり前のようにあった。

友人が仕事を辞めて、通学していた、100万円の学費の「ハロー通訳アカデミー」もネットで教材の無料一般公開を開始したり、メルマガサービスをしていた。

無料で色々な勉強や情報を入手することができたのである。

独学で資格を取得できたのも、ネットの恩恵を受けたからだ。

今は、この資格がなくてもガイドをできるのだが、その頃は、資格取得がガイドをする条件になっていた。

しかし、資格が取れたからといって、すぐにガイドの仕事が見つかるわけではない。

私は、まず、外国人の友達200人ほどに協力してもらい、アンケートを取った。

日本の観光に求める事や、行ってみたい場所、訪問歴がある場合は、どこが好きか?などなど。

その後、トップレベルのガイドさんが集まる、アメリカの旅行会社や、欧米を中心の個人客を取り扱う旅行会社で働き、多くの事を学んだ。

旅行の資格もあるから、自分でツアーを作るのもいいな、などなど、色々考えが巡ったのが、旅行業はやっぱり平和産業。

つまり、テロ、自然災害など、不可抗力によって自分も休職や、最悪、失業に追い込まれる確率他業種より圧倒的に高い

その最上級が、コロナだ。

私は、コロナ渦で一番打撃を受けた産業は、旅行業だと思っている。

私が勤務していた、インバウンド(訪日外国人旅行)の旅行会社も100名から18名までに絞られたのが、2020年9月の頃だった。

お給料も20%削減された。

自分は幸い、残留組の18名に入って、仕事を続ける事が出来たのだが、毎日、キャンセル処理が続いた。

おまけにチームで唯一の日本人だったので、キャンセルに伴う、色々な面倒臭い交渉が私に回ってきた。

同僚の外国人の多くは、、日本語も達者だ。

しかし、急に「日本語ムズカシイネ」なんて片言のふりをしてきたのである!!

自分も含め、コロナ渦で旅行に行けないストレスは、どんどん高まる。

日本は、オリンピックイヤーでもあったので、2020年の初めは、「今年は、旅行業界のビックイヤー!」と皆で意気込んでいたのに、この有様だ。

これは、旅行熱の反動が、コロナが終息した際に、すごい勢いで、間違いなくやってくると確信していた。

旅行業は、忙しくはなるが、すぐに人を雇えないだろう。

当然、十分な従業員がいないから、仕事量は劇的に増える。

私は、またいつかのように、ストレスから胃腸炎にでもなって、救急車で運ばれるだろう。

(その当時のお話し↓)

色々考えて、2020年の10月に受付の仕事に転職した。

お給料は安いが、残業がない。

なので、余力を週末に回し、週末と休日に通訳ガイドをしよう!と決めたのである。

そしてようやく、今年からガイド業が始まった。

まだ数回だが、毎回盛り沢山の話題があって、これは、是非紹介したいと思った!

そんなわけで、通訳ガイドのお話しも今後、このブログにて紹介していこうと思う。

日本に住む、日本人の皆さんは、お迎えする立場になり、町を歩いても、多くの外国人を今後、更に見かける機会があると思う。

私のガイド経験による、こぼれ話しなどが、もしかして、皆さんに役立つこともあるかもしれないので、是非お楽しみいただければと思います!

それでは、ツアー開始です!!

<思い出ブログ> 4月になり気持ちも新たに、最近、すっかり勉強していない、NHKラジオ講座をまたちゃんと聞こうかなーと思いつつ、実行に移せないでいる、私です。

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