【素晴らしきニッポン】中山道/木曽路をゆく5 馬籠宿編

日本の旅

急に思い立って、中山道に行った話し、本日5回目の最終回です。

一番の目的だった、サムライロードと言われる、2時間半のハイキングをして、馬籠宿まごめじゅくに到着。

ここは、坂にある珍しい地形の宿場で、木曽路11宿のうち、最南端に位置する。

島崎藤村の故郷でもある。

明治以降、2度の大火により、古い町並みは残念ながら失われてしまったが、その後、復元されて現在の姿をとどめている。

直線距離にして600mほどの一本坂で、コンパクトな宿場町だ。

今回訪れた、奈良井宿、妻籠宿の3つの中で、復元されているせいか、新しい感じもした。

美味しいコーヒーと栗きんとんで休憩。

島崎藤村記念館に行った。この名前を聞くのは、学校で習った時以来かも!

藤村の人生を今回、知ったのだが、知らない事ばかりだった。

藤村は、明治5年(1872年)にこの馬籠宿で生まれた。

彼の人生に大きな影響を与えた、いくつかの衝撃の出来事がある。

まずは、父親が郷里にて牢死したこと。

古き良き日本を愛する国学者だった父だったが、明治維新の直後、先行きを見失ってしまった日本の未来を憂いる。

とうとう、気がおかしくなり、寺院への放火未遂の罪で捕まり、そのまま牢獄のなかで生涯を終えることになる。

藤村は、15歳という、多感な時期。尊敬していた父のあまりに衝撃的なこの出来事は、彼の著名な小説のひとつ夜明け前」の題材になる。

明治14年にミッションスクールの明治大学に進学し、フランスの進んだ思想に影響を受ける。

その後、教師になるが、女学校の生徒と恋仲になり、責任を負って辞職。

「文学界」を共に創刊した友人・北村透谷が自殺、兄が公文書偽造の罪で逮捕されるなどなど、悲しい出来事が次々と起こった。

かなり気持ちが追い込まれて、鬱に近い状態な藤村だったが、仙台に作文教師として赴任して明るくなったそうだ。

藤村の作品は、教科書に出て、たぶん、「読まされている」と思う。

今回、じっくり記念館を訪れて、人となりを知り、改めて、「破壊」と「夜明け前」を読んでみたいと思った。

旅行の素晴らしさの1つとして、こうやって、旅行後もその地で知ったことなどから派生して、また世界が広がるのがいい。

ちなみに、前回の私のブログにも出てきたが、藤村の幼馴染で初恋の人だった「ゆふ」が嫁いだ先が妻籠だ。

後に、息子さんが、藤村にお願いして、直筆の書を書いてもらったそうで、それが飾られていた。

こんな波乱万丈の人生を送っていたと知ったのは、その時知らなかった。

この時は、まだ無垢で純粋に藤村も人を好きになっていたのかなーなんて思ってしまった。

人生、生きていると本当に色々な事があって、年を重ねる度に、重みや苦みが増す。

藤村も、そういうエッセンスが、作品に表れているのかなと思い、是非、作品をきちんと読んでみたいと思う。

学校で読まされていた、年齢ではきっと何も感じてないだろうなー。

馬籠宿は、夕方になり、観光客が一気にいなくなった。波が引いたみたいに、静かになっていた。

改めて、その道を歩くと、とても落ち着く。

運んでもらった大きなバックパックを観光局に取りに行った。

7時に塩尻を出発して、妻籠に立ち寄り、そこから2時半ハイキング。

気が付けば、もう17時。

濃い1日だった。

バスで中津川なかつがわに行き、そこから電車で名古屋に行く。

17時過ぎの中津川行のバスは、私以外、また外国人だった。

しかしまあ、本当に、外国人で溢れていた、中山道。

江戸時代の人がこの光景をみたらびっくりするだろうなー。

というわけで、オージーの友達が来年の5月に日本に休暇で行くので、予定表をチェックしてほしいとメールがきて、行き先に、Magome- Tsumago(Walking) – Narijukuって言うのが出てきて、どこだ??と思ってから、1か月。

それをきっかけに、迷わず、現地に来て、経験ができてよかった。

すぐに友達に、Wonderful Place, you must go! (素晴らしい場所だよ、絶対に行かなくちゃだね!)と連絡した。

思い立ったら吉日!

行動して本当によかった!

皆さまも、機会があれば、絶ーーーー対、行ってください。

本当におススメです!

というわけで、5回シリーズの【素晴らしきニッポン】中山道/木曽路をゆく これにて終了です!

<思い出ブログ>

12月に入り、イルミネーションも綺麗になりました。フランスが懐かしいです。

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