【素晴らしきニッポン】中山道/木曽路をゆく3 妻籠編

日本の旅

急に思い立って、中山道なかせんどうに行ってきたお話の第3回。

公共交通機関での移動の私。

本日は、朝、妻籠つまごという宿場町に行き、そこから、馬籠まごめという宿場町までハイキングで行く予定を立てていた。そして、中津川を経由して夜にはもう大都市名古屋だ。

ハイキングは、10kmほどのこのコース。

ここは、私のオージー(オーストラリア人)の友達が”SAMURAI ROAD”に行きたい!と質問が来て、知った場所だ。

英語で書かれた、Nakasendo Hike Mapというのがあった。

馬籠から妻籠のハイキングは、中山道の中でもハイライトだ!って大きく書いてある。

なるほど、こうやって外国人にアピールしているから、多くの外国人がこの地にいるんだとと思った。

歩くことが大好きな私。

私にとってもこの旅のハイライトになると感じた。

奈良井宿ならいじゅくは、駅から降りてすぐ辿り着けたが、妻籠つまごは、南木曽なぎそという駅から、バスに乗って行く必要がある。

そのバスがあまり出てないので、しっかりしたプランが必要だ。

そんなわけで、朝7時14分の塩尻発の特急電車に乗って、南木曽なぎそに8時8分に到着。

駅に降りたのは、私と外国人のカップル2組だけだった。

バスが30分後に出るので、その間に、駅にある観光案内所で情報を入手。

やはり、観光客数は、圧倒的に外国人が多いらしく、多い時は9割が外国人という驚愕の事実を案内所で聞いた!!

30分の待ち時間に、桃介ももすけ橋というのを見る時間があった。

国内最大級の木製吊り橋。

そしてバスに10分揺られて、妻籠つまごへ。

バスで10分だから歩けそうだと思ったのだが、歩くと1時間ほどかかるらしい。

車というものに感謝!

妻籠も奈良井宿と同様、降り立った瞬間、「なんかいい!」ってゾクゾクした!

妻籠を語るには、「町並み保存運動」という出来事を知っていただく必要がある。

元々中山道は、江戸時代に栄えた。参勤交代など、歩いて移動している人達にとっての宿場町だった。

時代が流れ、明治になり、鉄道や道路が木曽川沿いに造られたことにより、妻籠宿に立ち寄る人が増えて、衰退の一途をたどった。

時代は更に流れ、昭和40年代になり、ようやく昔のいいものが見直される時代がきた。

高度成長期の真っ只中。

妻籠の人達は、町並みを守る為に、「売らない、貸さない、壊さない」を中心とする住民憲章を作り、ここで生活しながら江戸時代の町並みを保存する運動に取り組んだ。

そのおかげで、その当時、多くの日本人の観光客が殺到したと、南木曽なぎその観光局でお話しを聞いた。

なんだか、古きよき日本の田舎風景で、ほっとする。

また朝早いので、人もいなくて、実にいいのだ。

観光局に出向き、おススメを聞いた。

すると、南木曽町博物館の囲炉裏に、この時期、ちょうど太陽の光線が10時くらいに入ってくるのが美しいから見た方がいいですよと言われた。

南木曽町博物館 |中山道 妻籠宿
【中山道 妻籠宿 南木曽町博物館】-国重要文化財指定 脇本陣奥谷- 妻籠宿本陣 歴史資料館|いまも息づく日本の原風景

そんなわけで、10時に出向いて見た。

ここは、秋から春先にかけて、「脇本陣奥谷の斜光」がインスタでバズったらしく、最近、外国人にも大人気スポットとのこと。

まず、ここは、「脇本陣」。本陣が近くにある。

本陣とは、

江戸時代以降の宿場で、身分が高い者が泊まった建物。大名旗本幕府役人、勅使宮門跡らが利用した。「大旅籠屋」(おおはたごや)とも[1]。原則として一般の者を泊めることは許されておらず、営業的な意味での「宿屋の一種」とはいえない。宿役人の問屋や村役人の名主などの居宅が指定されることが多かった。また、本陣に次ぐ格式の宿としては脇本陣があった。

Wikipediaより

そう、ここは、本陣に次ぐ格式の宿だったのである。

しかし、ここを説明して下さったガイドさんによると、実際は、ここにお泊りせず、経費を抑える為に、家来の方々は、隣村などに散らばってお泊りになったそうだ。

この脇本陣は、屋号を「奥谷」といい、代々、林氏が勤めてきており、現在もこの隣に「林家住宅」がある。

斜光は、秋から春にかけて現れる。

晴れた日にしか見られない光景で、日差しの強さや囲炉裏の煙の濃さなど条件によって見え方は変わっていくそうだ。

ただ光が差し込んでいるだけなのに、はっとする美しさ。

南向きの高窓から差し込む陽光「斜光」が見られる時季が限定されているって、わかっていてもやっぱり不思議。

夏に来たら、見れないのだ。

囲炉裏から立ち上る煙を照らし、光が帯状になって屋内に降り注いでいる。

わあ、すごく美しい!

冬はこの地方は冷え込むので、この光を利用することに寄って、寒さを少しでも和らげる工夫を大工さんがしたそうだ。

こういうのってやっぱりすごい。

とっても幻想的だった。正午頃は、囲炉裏にまっすぐ光が差し込むという。

10時は、遮光。とても素敵だった。

またここは、島崎藤村の幼馴染で初恋の人だった「ゆふ」が嫁いだ先でもある。

ゆふは、島崎藤村の小説「初恋」のモデルになった女性。

後に、息子さんが、藤村にお願いして、直筆の書を書いてもらったそうで、それが飾られていた。

更に明治天皇もこちらに、いらっしゃったとのこと。

その当時、天皇が、ブーツを履いていたので、畳に赤い絨毯をひいて、歩いてもらったそうだ。

天皇が使用した机が、林家の家宝とのことで、居間にどかんと飾られていた。

そうしているうちに、賑やかなスペイン語が聞こえてきた。

インスタでバズっただけあって、団体の外国人観光客も結構いた。

そんなわけで、私は、速やかに退場!

その後、復元された本陣にも立ち寄ってみたのだが、やはり、本陣の重厚さって復元とは言え、脇本陣と全然違うなって当たり前だが、思ってしまった。

妻籠つまごは、ぶらぶら昔の町並みを見ながら歩くのが本当に楽しい。

それぞれの家に、表札代わりではないが、お花や柿、はたまた、カブトムシのお飾りというユニークなものもあった。

なんか、長旅で疲れた人達を静かにおもてなししてくれている感じがして、ぐっときた。

五平餅、蕎麦ランチ、そして、栗きんとんなど買ったりしながら、2時間半ゆっくりたっぷり楽しめた。

さあ、早めのランチも済み、今回の旅のメインである、サムライロードを歩きます!

続きは次回!

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<思い出ブログ>

ラグビーワールドカップが終わった。決勝トーナメントは、朝4時の試合で辛かったー。

準決勝の2試合は、目が覚める面白さだった。

オールブラックスは、決勝で1点差で負けた。残念。さあ4年後は、オーストラリア。

時差には苦しまなくてすみそう!

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