急に思い立って、中山道に行ってきた。
きっかけがいくつかあった。
仲良しのオージー(オーストラリア人)のお友達が来年の5月に日本に休暇で行くので、予定表をチェックしてほしいとメールがきた。
添付したファイルを開いた。
2週間の旅行で、東京からはじまり、その次が、Magome- Tsumago(Walking) – Narijukuって言うのが出てきた。
うむ?どこだ??と思って調べてみたら、中山道にある、馬籠、妻籠、奈良井宿ということがわかった。
中山道の中の、木曽路エリアという。場所は、長野県と岐阜県。
ついその数日前にも、外国人ツアーで、木曽路エリアにて、そば作り体験や、電車の手配を頼まれたのだが、行ったことがなかったので、グーグルで調べてなんとなくやった。
知らないところを手配するのって面白くない。
今回は、仲良しの友達が来るとなれば、ニッポン代表として、私もちゃんとお答えしたい!
そんなわけで、全くこの辺りの地理を把握してなかった私は、そのメールをもらってから、10日後には、現地に辿り着いてた!
というのも、12月になると、場合によっては、道路が閉鎖するところが出てきたりするので、せっかくのハイキングもできないかもしれない。
長野、岐阜にまたがる地域の冬は辛そうだし、紅葉もみれるかもと期待をよせて、天気がばっちりよさそうな3日間を見つけて、行ってきた!
思い立ったら吉日だ!
そして、3日間、快晴の中、素晴らしい景色を見れて、大大大満足で帰ってきた!
もうこの地域の事を聞かれても、旅行の手配はバッチリと自信もついた。
本当は、宿場町の旅館などに泊まりたかったのだが、どこもかしこも見事に満室だった。
そして、今回は一人旅なので、運転できない私は、公共交通機関での移動となる。
田舎の電車の時刻表とにらめっこで、計画を立てた。
その結果、
Day 1: 新宿から長野の塩尻に行き、そこを拠点に奈良井宿の観光。
Day 2: 朝早く、南木曽に行き、バスを乗り継いで、妻籠。そこからハイキングをして、馬籠へ。夕方にバスと電車を乗り継いで、名古屋。
というまるまる2日間の計画を立てた。
さて、中山道、改めて、何だったっけ?って思った。
中山道(なかせんどう)は、江戸時代に整備された五街道の1つで、江戸の日本橋と京都の三条大橋を内陸経由で結ぶ街道である[1][2]。「中仙道」、「仲仙道[注釈 1]」とも表記するほか、「木曾街道」や「木曽路[3]」の異称も有した。
Wikipediaより
ふむふむ。
まずは、8時新宿発のあずさ5号で塩尻へ!
電車は、ハイキングをする人達で満席だった。
だんだんのどかな景色になっていく。
2時間半で長野県塩尻に到着。
10月末の塩尻に降り立ったら、空気がキリっと冷えていた。
北アルプスの山の上は、白くなっていた。
塩尻から電車を乗り換え、奈良井まで30分ほど。
ここには、奈良井宿という宿場町がある。
宿場町とは、江戸時代に、 徒歩や馬での移動により、中山道や東海道などの街道沿いを中心に発達した町の事をいう。
中山道には69の宿場町があり、そのうち、木曽路には、11宿ある。
景観がよく保たれているそうだ。
奈良井宿は、1キロにわたって形成される日本最長の宿場町。
駅から降り立って、もう感動。
江戸時代にタイムスリップ!なんだか、セットみたい!
NHKの朝ドラの「おひさま」のロケ地にもなったそうだ。
このドラマ、とってもよかったの覚えている!
ランチは、お蕎麦を予定してたのだが、団体客の予約が入ってたりでどこもいっぱい。
お腹がペコペコだったので、「特製ソースカツ丼」という文字に魅かれて、「食事処松波」さんへGO!
長野県塩尻は、ワインの産地で有名。
その歴史は130年に及ぶという。
そんなわけで、白ワインで乾杯!
かつ丼は、サクサクして、しんなりしたキャベツとご飯の絡みがいい!おいしい!
それにしても快晴で、気温も20℃と観光には、この上ない素晴らしい状況。
ちょっと紅葉が始まっていて、幸せ度MAX!
それにしてもとにかく驚いたのが、外国人率の高さだ!
英語、スペイン語、フランス語、韓国語、タイ語、中国語がいきかっている。
彼らは、大きなバックパックを抱えて、杖を持ちながらハイキングをしながら宿場町を通り過ぎている。
私は、帰りのバスに乗った際に、ドライバーさんにまた、外国人に間違えられた。
乗車の際、お金を払おうとしたら、「アフター、アフター」って突然言われた。
意味がわからなくて、きょろきょろしているうちに、このドライバーさんは、私に、「運賃は後払い」って説明しているんだっていうことがわかった。
それから、外国人3人が乗ってきて、彼らが、英語で「支払いって後でいいのかな?」って言っていたので、「そうだよ。」と私が答えたことから、話しが始まった。
彼らは、皆、オーストラリアからやってきていた。
どうしてここに来たの?どうやって知ったの?って聞いたら、「自分はハイキングが好きなんだけど、YOUTUBEで木曽路のハイキングコースを紹介していて、それで知ったんだ」と言った。
なるほどー、やっぱり時代は、YOUTUBEとかインスタグラムなんだなって改めて思った。
そんなここでは、マイナーな日本人の私だが、鎮神社でお参りしたり、美しい総檜造りの太鼓橋、「木曽の大橋」を見たりした。
また、大宝寺では、隠れキリシタンがいた証拠がある像を見つけた。破壊されているマリア地蔵だ。
私は、この中山道の旅行の一か月前に、長崎に行って、切支丹を巡る旅行をしてきたばかりだった。
この旅行の事はまたいつかゆっくりお話ししようと思っているのだが、ここにも隠れキリシタンがいたのかとなんだか感慨深かった。
そんな中、もう一か所、見学したのが、中村邸。
櫛問屋を営んだ、中村家の住居。奈良井宿の典型的な町家様式だ。
私は、お宅拝見みたいなことが大好き。
今回もお邪魔してきました。
江戸時代の中期、奈良井宿の櫛職人が木櫛に漆を塗った、「塗櫛」を女性の髪飾りで売り出したところ、中山道を行き交う旅人の土産として大流行したそうだ。
あの時代に旅をするって、今の時代と全然、意味が違うと思う。
櫛をお土産に買えるっていうのは、すごい自慢できる価値のあるものだったと思う。
そんなものを身につけられる女性は、自慢したくてしょうがないんだろうなーなんて思ってしまった。
塩尻のお話しは、また次回に!
(更新済み↓)
<思い出ブログ>
天気がよい気持ちのいい秋晴れが続いているので、お花のお話し。
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