オーストラリアのワーホリの1年は、定住せず、バックパック1つ背負い、バスで1周半旅をした。
タスマニアという北海道くらいの大きさの島には、半周ほど、自転車でも周った。ちなみにオーストラリアは、日本の25倍の大きさである。
よくすごいといわれるけど、ワーホリでは当たり前。
バイクで周る「ライダー」に掛けて、自転車で周る人は、「チャリダー」、バスでぬくぬく周る私のような人は、「バスダー」と呼ばれていた。
そして、なんと歩いて周っている、日本人女子がいた。
スーパーのカートに荷物を積み、地元の新聞にも出るほど有名だった。
「歩きダー」とかいじる人はおらず、「さちさん」と拝まれていた。
会えたら、ラッキーといわれた、さちさんに旅の途中で会えた。
小柄な女性で真っ黒に日焼けしていて、キラキラしていた。
そんなさちさんとすれ違った、ライダーとチャリダーも揃い、素晴らしい3ショット↓
さて、今日は、泊まっていた宿のお話しである。
1年という長期間なので、ホテルに泊まるという発想は私には全くなかった。
ユースホステルか、バックパッカーズという安宿が選択肢。
キッチン、トイレ、シャワーが共有で、部屋は、シングルルームもあれば、多いと12人部屋もあった。
2段ベットがずらっと並び、寝るだけの場所。
4人部屋くらいがちょうどいい。値段は、A$10ドル(600円)くらいだった。
部屋は、基本、男女別が多いが、たまに、ミックスドミトリーといわれる男女共同の時もある。
これは、なかなか不便。
着替える時は、男子がいると、なんとなく、トイレに行ってわざわざ着替えた。
そして、世界中の男性の独特な匂いが部屋に充満すると、なかなかなものだった。
ラグビーの部室の匂いみたいな。
私が思い出に残っている、宿は、バイロンベイという、ゴールドコーストから1時間半のヒッピーの多い、素敵な町にあった。
バックパッカーズは、通常のドミトリーとテントドミトリーがあり、私はテントを選んだ。
大きなテントに12個のマットレスがあり、持参の寝袋で寝る、12人部屋である。
この宿では、夜になるとラウンジで誰かがオーストラリア先住民、アボリジニの楽器のディジュリドゥという楽器を吹き始め、そのうち、ギターやらトランペットやらを吹き、大演奏会になる。
ろうそくの灯の中、まったりとした夜。日本人が誰もいない中、異国にきたんだなーなんて郷愁に駆られる。
いい気分になり、テントドミトリーに寝に行く。外をみれば、星が降るように瞬いている。
季節は、夏の11月。
南半球に来たんだなーなんて思いながら寝るのだが、テントの中は、窓がないので暑く、ミックスドミトリーで、酔っぱらった変なカップルがひそひそ話しているのが聞こえると、今晩、ここで、何かが起こるのではないかとドキドキしちゃう。
そんな、頭デカチで寝不足になり、結局、2日後、通常ドミトリーに引っ越すのであった。
女子4人のクーラーの効いた部屋は、私にとってスイートルーム。
バイロンベイは、15年後、オーストラリアに住んだ時に、訪れたが、今や、オージーの間でも、おしゃれで、ポッシュな場所になっていて、テントドミトリーは、探し出せなかった。
それでも、灯台は、あの当時のままそびえていて、なんだか青春だったのあの当時がよみがえり、ちょっと泣きそうになったのであった。
おしまい。
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