来年、新庄が日ハムの監督になるという。
これは、面白くなりそうだ。
こういう、ワクワクできる話しは非常にいい。
そんなわけで、今日は野球のお話し。
実は、私は、小学生の時に、ソフトボールをしていた。
していたというよりさせられてたという方が正しいかもしれない。
石川県に住んでいたところが、スポーツが盛んだった。
ソフトボール大会もあり、人数の少ない地域に住んでいた私は、強制的に試合に出されていた。
ルールがわかっていたこともあり、気が付いたら、その頃から、高校野球が大好きになった。
甲子園には、2回、観戦に行っている。
1度は、母校でも何でもないのに、日大鶴ケ丘の応援団に混ざって、応援団夜行バスにちゃっかりついて行った。
甲子園で聞く、ブラスバンドっていいなと思ったのを覚えている。
プロ野球にはまったのが、川崎に引っ越した、小学校5年生だ。
ちなみに、石川県の人は、巨人か中日ファンがほとんどだった。
我が家はよくわからないが、昔からアンチ巨人だった。
高校野球が好きだった私は、PL学園全盛期の、桑田、清原のKKコンビの大ファンだった。
その2人の運命を分けたドラフトで、私は、ますますアンチ巨人になり、清原を応援しようと西武ライオンズのファンになるのである。
世に言う、「KKドラフト事件」。
大人の汚い世界を覗き見た瞬間だった。
知らない方は、最近、清原が語った記事があるので、こちらをどうぞ。👇
ちなみに、清原がその因縁の巨人に日本シリーズで対決して、優勝を勝ち取る直前の9回2アウトで、感極まって試合中に泣いた。
その時は、私も、一緒に泣くくらい、一生懸命応援をした。
川崎に引っ越してきても、テレビは、いつも巨人戦ばかり。
パリーグのテレビの中継なんてなかった。
一度、父とロッテの試合を見に今は無き、川崎球場に行った。
その当時の3冠王の落合がいたのに、球場がガラガラだった。
なので、我が家は、 シーズン中の4月から10月の半年は、西武の試合を「文化放送ラジオ」のライオンズナイターを聞きながらの夕食になる。
音の悪いAMラジオから流れる中継を聞くのである。
さながら、昭和初期のようだ。
ライオンズ友の会に弟と入った。
メガフォンをもって、ライオンズの帽子を被って、川崎から所沢まで何度も試合を見に行った。
一度、弟と二人で試合を見ていたら、延長戦になり、最寄り駅の溝の口に着いたら、そこから乗る予定のバスがもう終わっていて帰れなくなってしまった。
タクシーに乗るお金もなかった。
私は、まだ小学6年生、弟は、3年生だった。
公衆電話で母に連絡をしたら、「タクシーに乗って、うちにとにかく帰ってきなさい。」という。
で、弟をタクシーにおいて、玄関でお金を渡すからと言われた。
その通りにして、うちのマンションに着いてから、
「すみません、ちょっとお金が無いので、今、取りにいきます。弟をおいていくので、待ってください。」
と言ったら、タクシーの運転手のおじさんに「なにぃー!」と怒られた。
怖かったので、人質をおいて、急ぎ足で、マンションの3階まで、駆け足で行き、お金をもらってすぐに戻った。
あの頃、「かっとばせーー」と応援していた選手は、今は、皆、監督やらコーチだ。
バッター、辻、石毛、秋山、清原、平野、デストラーデ。
ピッチャー、渡辺久信、工藤、潮崎、松沼兄、弟。
こんな単語を聞いて、わくわくしたら、私と同じ野球大好き世代だ。
時の流れを感じる。
ヤクルトや、巨人の試合も見に行ったことがある。
一番、はまったのが、東京六大学野球だ。
甲子園から応援していた選手が、慶応大学の野球部に入部した。
短大の友達と一緒に、春と秋のシーズンの日程表が出ると、どの試合に行くか計画した。
神宮球場には、数えられないほど通った。
大学野球は、伝統ある応援団とチアリーダーに合わせて応援するのがとにかく楽しい。
一瞬、慶大生になった気分で、肩を組んで、「若き血」を歌うのであった。
楽しいのが、試合後の出待ちだ。
私が大好きだった「樋渡くん」を目当てに、毎回ドキドキしながら待った。
そして、いつも、ちゃんと話せず、毎回撃沈で、神宮外苑前駅のそばにある、「ファーストキッチン」でポテトをかじりながら、友達と反省会をした。
肝心の樋渡君には全く近づけなかったが、応援に来ていた、樋渡君のお母さんとは仲良くなった。
結婚したら、嫁、姑の問題はないのになーなんて思っていた。
そんな樋渡君も結婚して、いいパパになっているそうだ。
数年前に連絡した、樋渡君のお母さんから聞いた。
大学野球には、そののち、プロ野球で活躍することになる、スターが学ランをきて、その辺を普通に歩いていて、話しかけることもできた。
この前のオリンピックで金メダルと取った時の監督で、今度は、新庄の日ハムのGMになった、稲葉篤紀や、のちの巨人の高橋由伸、仁志、西武の高木大成などもすぐ近くで見れた。
稲葉さんは、あの頃からかっこよかった。
大リーグも一度観戦した。
野茂がレッドソックスにいた2001年だ。添乗員でボストンに行った時だ。
野茂は残念ながら見れなかったが、日本のプロ野球と野球観戦の仕方が全く違ったので新鮮だった。
応援のトランペットの演奏などはない。
各々が楽しんでいる。
でも、7回表が終わると、『私を野球に連れてって(Take Me Out to the Ball Game)』を一斉に皆で揺れながら歌う。
観客の前にあるネットが低く、ボールがすぐに飛んできそうな感じ。
外野は、グローブを持って、ホームランボールを待つ、子供でいっぱい。
さすが、野球発祥の国だと思った。
ところで、ニュージーランドにいた2005年くらいに、プロ野球の仕組みが色々変わった。
その頃から海外にいたのもあって、ほとんど見なくなってしまった。
クライマックスシリーズとか、私は古いプロ野球ファンなので、どうも馴染めない。
でも、数年前に同僚とヤクルト戦に行って、やっぱり野球って面白いなって思った。
今年は、オリンピックでの、女子ソフトボール、男子野球の金メダルや、大リーグの大谷の大活躍で野球が楽しく、また見たくなった。
来年は超超久しぶりに、西武球場での試合を見たいなと思っている。
西武球場は、今は、メットライフドームというらしい。
最後に行ったのは、野球ではなく、渡辺美里の伝説の大雨、雷で中止になった1989年だ。
随分、変わったことだろう。
というわけで、メットライフドームの西武戦で、新庄が監督だから、対戦相手は、日ハム戦観戦をするということで決定だ!
本日はこれにておしまい!またねーー。
伝説の美里ライブについては、👇
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