<昭和のよき香り、ウズベキスタンをゆく!(1)>地元の親戚の集まりに飛び入り参加!!その1

ウズベキスタン旅行

English follows after Japanese.

アッサローム!!(ウズベキスタン語でこんにちは!)

もう1年以上前になってしまっているが、ウズベキスタンに2週間旅行に行ってきた。

ハイライトを書いたブログがこちら↓

ウズベキスタンの旅行の一番の思い出は、カラカルパクスタン人と言われる、地元民の家族の集いの晩餐に偶然、参加できたことだった。

ウズベキスタン西部に、カラカルパクスタン共和国という自治国が存在する。

イタリアのローマにある、バチカン共和国と同じ考え方でいいらしいが、独自の憲法・言語・国家を持っている。

ただし、外交、警察、軍事は、ウズベキスタンに属するそうだ。

ウズベキスタン国土の37%を占めている。

ちなみにウズベキスタンの大きさは、日本の1.2倍なので結構な大きさだ。

私達は、旅行5日目に、「古代遺跡とキャラバン体験」という1泊のツアーに参加した。

砂漠のオアシスの町、ヒヴァからのツアー。

ヒヴァは、世界遺産のとても美しい町だ。

ツアーといっても、お客さんは、私達2人。

ウズベキスタンは、シルクロードの通り道だ。

この砂漠を行く商人の一団をキャラバン隊と呼ぶ。

キャラバン隊をはじめとした、遊牧民の移動式住居は、「ユルタ」という名前だ。

白い、円形のテント。モンゴルでは、「ゲル」という。

そう聞けば、どういうものかもうちょっとイメージがつくだろう。

要するに、私達が参加したツアーは、古代遺跡を見て、キャラバン隊が泊っていた、ユルタに1泊するというツアーだ

古代遺跡案内は、日本人のガイドさんに案内していただいた。

私達は、お昼過ぎに、15個のユルタがある、キャンプ場に到着した。

私達の泊るユルタに入ってみた。

ユルタは、ユネスコの無形文化遺産に登録されている。

季節に合わせ、移動する度に解体し、また組み立てる、移動式大型テント。

木の扉を開けると、天井の高い、空間が目の前に広がる。

高さは、3m,広さは、18畳くらいあり、広い。

テント内は、民族衣装のような柄の布で飾られている。

マットレスを重ねたようなベットがちゃんとある。

私達が泊ったユルタには、冷房もあり、ユルタの外に、室外機があった。

電気も通っているので、かなり、旅行者向けに、ホテル仕様にしたものだ。

共同のトイレが、敷地内に2か所あるが、流れが悪い。

シャワーは、水がちょろっと出るくらい。

異国体験が楽しめる。

この敷地エリアに、素敵な休憩所がある。

高台で、ちょっと能舞台みたいな作りになっていて、絨毯がひいてあり、テーブルとクッションが置いてある。

私は勝手に、「テラス」と名付けた。これが写真↓

夕方になり、そのテラスでビールを飲みながら、私達は、砂漠しかない場所で、ぼーーっとして、リラックスしていた。

ここでのビールは、砂漠価格で通常の倍ほどの値段だが、キンキンに冷えて最高。

日本円では、300円ほどだから安いもんだ。

今日のユルタキャンプに泊るお客さんは、私達以外に、イタリア人6人のみと聞いていた。

6人が一緒に1つのユルタを使うとのこと。

人が多いのが苦手な私としては、1組でよかったーなんて思っていた。

すると、現地人ぽい感じの男性2名、女性2名が車から降りてきた。

私達がテラスに座っていたら、笑顔で4人、一緒に座ってきて、何か質問をし始めた。

言葉が全然わからないが、こういう時は、大体、どこの国から来たのか?って質問がほとんどなので、「ヤポーニャ!(日本人)」と言ったら、4人とも目を輝かせて、「ヤポーニャ!」と反応した。

名前をお互い述べて、女性が自分自身を差しながら、「6と3」と指で示したので、今度は、年の話しになったということがわかった。

男性 カピボラリーさん 63才

男性 ドゥラビクリーさん 62才

女性 ズフィアさん 54才

女性 メリーチェさん 63才

ということがわかった。

そこからは、筆談になった。

家系図みたいのが出来上がり関係性がわかってきたのだが、この4人は、親戚同志で、子供も、孫も兄弟姉妹もたくさんいるようだった!!

私の旅の友、ミユキは,勘がよく、この4人の質問していることや、答えることをしっかり理解し、よくわかってない、私に通訳してくれる。

皆様、私の名前がちゃんと言えず「ムチュミ」という発音になるのが可愛い。

そしてどうやら、この「ムチュミ」が、彼らの言語での何かおもしろい意味みたいで、無邪気な子供のように皆、「ムチュミ」と連呼して、楽しそうなのだ。

私も何でこんなに笑われているのかよくわからないものの、皆、笑顔で幸せそうだからいいや!と「ムチュミ」「ムチュミ」と呼ばれるたびに、「はいはい」と答えた。

そして、彼らに自分達の年齢を教えたのだが、私達は、若く見えるようで、「いや、数字がおかしい、おかしい」と言われた。

前日に滞在していた、ヒヴァでも同じ事が起きた。

日本人はやっぱり若く見られる。

そして、私達は、2人共、この年で独身で子供もいないのだが、これまた、彼ら達を混乱させた!!

この国の平均出生率は、2019年の統計で3.17人。

1980年は、なんと5.05人だったそうだ。

1980年というとちょうど、この4人が子供の頃の事。

常に大家族の彼らにとって、私達の状況をよく飲み込めてない状態だった。

私も家系図を書き、姪っ子、甥っ子の話しをしたら、おー、なるほど、なるほどってなっていた。

そうしているうちに、なんだか、次から次に同じような恰好をしている人達が、車に乗ってやってきた。

そして、「ムチュミ」「「ムチュミ」と紹介され、皆、「ムチュミ」「ムチュミ」を連呼して笑顔だった。

気が付いたら、5家族、総勢25人に人数が膨れ上がっていた。

1人の女性が、外で、大量の玉ねぎを剝き始めた。

そして、奥にある、ユルタを指さして、そこに行くから来いと言っている。

こりゃなんだか楽しそうな事が始まりそうだ!

そんなわけで、私達は躊躇することなく、参加させてもらうことにした!

続きはまたこちら!

<昭和のよき香り、ウズベキスタンをゆく!(2)>地元の親戚の集まりに飛び入り参加!!その2
2024年6月末から7月にかけて、2週間、ウズベキスタンを旅してきた。ハイライトがこちら↓一番の思い出は、地元民の家族の夕食会に、飛び入り参加したこと。前回は、その1↓なんだか楽しそ...

<思い出ブログ>>

大相撲、5月場所に続いて、9月場所も両国国技館に見に行きました。私、もう沼にはまってしまったかも!!

A Night with a Karakalpak Family in Uzbekistan

The most unforgettable memory from my Uzbekistan trip was an unexpected dinner with a local Karakalpak family.

The Republic of Karakalpakstan, located in western Uzbekistan, is an autonomous region with its own language, constitution, and culture — though foreign affairs and defense belong to Uzbekistan. It covers about 37% of the country’s land, which itself is 1.2 times larger than Japan!

On the fifth day of our trip, we joined a one-night “Ancient Ruins & Caravan Experience Tour” from the oasis city of Khiva, a UNESCO World Heritage site. We stayed in a yurt (called “yurta” in Uzbek) — a round, white nomadic tent similar to the Mongolian ger.

Our camp had about 15 yurts. Ours was surprisingly comfortable, even equipped with air-conditioning and electricity. The desert shower barely worked, but that was part of the charm!

In the evening, we relaxed on a terrace overlooking the sand dunes, drinking cold beer (double the usual price, but worth every sip). Only six Italians were said to be staying that night, so I thought it would be a quiet evening.

Then, a car arrived with four locals — two men and two women — all smiling warmly. They joined us on the terrace and began asking questions. We didn’t share a language, but when I said “Yaponya! (Japan!)” their eyes lit up.

We exchanged names — Kapibolari (63), Durabikli (62), Zufia (54), and Meriche (63) — and soon began communicating through gestures and notes. They showed me a little family tree, and it turned out they were all relatives with many children and grandchildren.

My name, Mutsumi, was hard for them to pronounce, becoming “Muchumi,” which apparently sounded funny in their language. Everyone kept calling “Muchumi! Muchumi!” while laughing joyfully — so I laughed along, too.

They were shocked when they learned that my friend and I were unmarried and had no children at our age. In their culture, family is everything — with an average of over three children per household — so our lifestyle was a surprise.

As we chatted, more and more relatives arrived — soon about 25 people from five families! One woman started peeling a mountain of onions, then waved for us to follow her to a yurt.

It was clear — a big family feast was about to begin.
And of course, we joined in without hesitation.

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