自転車を1人でひたすら漕いでいると、とにかく人に出会わない。
車もあまり通らないのだが、車に乗っている、ほとんどの人が、すれ違いざま、手を挙げてくれたり、クラクションを鳴らしてくれる。エールを送ってもらっているような気がしてなんだか温かい気持ちになる。
そんな私の、自転車の旅もいよいよ、15日が過ぎ、ゴールのタスマニアが見えてきた。
最終日は、これまで最高の90kmを漕いだ。
新宿から箱根の距離。そして最後もアップダウンが非常ーーーーーーーーにきつかった。
これは箱根の山越え、気分は、駅伝選手だ!
リラックスできたトリアブナを出て、まず、リッチモンドに向かった。
ここは、200年前の当時の建物が今なお残っている、かわいい町。
町のランドマークの1つが、街の名前がつけられているリッチモンド橋という石橋だ。
現在ではオーストラリアに現存する橋の中で最古の石橋と言われている。
数日前に、オージーのカップルに会った。彼らは、車でタスマニアを周っていた。
休憩していた時に会って、ちょっとお話しを数日前にした。
そして、リッチモンドでまた出くわした。
彼らが、2泊ゆっくりしている間に私が自転車を漕いでまた追いついたのである。
こういう再会は、格別だ。この町に知り合いが1人もいないので、なんだか友達に会った気分になる。
ホバートに近づいてきたら、急に車の通行量が多くなってきた。
オーストラリアでは、自転車は、車道を走らなくてはならない。
今まで、田舎道だったので、道路の真ん中を堂々と走っていたが、そうはいかなくなってきた。
信号も久しぶりに見るし、圧倒された。
すれ違っても、クラクションを鳴らして応援してくれる車なんかいない。
あーーー、田舎から上京してきた人ってこんな気分なのかなーなんて思った。
ホバートという看板が見えて、ぐっと力が入った。
しかしまあ、タスマニアの坂は最後の最後まで激しかった。
最後は、感動で涙でも出るかと思ったが、排気ガスを吸いながら、「早く終われーー」なんて念じてしまった。
ふと、高校時代の男友達が、富士山の近くを自転車で周った時に、最後の坂があまりにも大変で「蛇の幻覚を見た!」というよくわからない話しを聞かせてくれたことがあった話しがなぜか頭をよぎった。
もう頭も体も私はへとへとだったようだ。
とにもかくにも、ホバートについた!おめでとう、私!!
もう一億円をあげると言われても2度とできないと思う。
こうして着いたホバート。
田舎と言われているが、エスカレーターに感動できるくらいになってしまっている私。
タスマニアに来て、たった3週間でこんなに変化してしまった自分にびっくりだ。
ホバートは、シドニーに次ぐ、オーストラリアでは2番目に古い町だ。
有名なのは、ホバート港から出る、年末のヨットレースや、魔女の宅急便のモデルになっている、サラマンカプレイス。
毎週土曜日の朝から出ている、青空市場のサラマンカマーケットは必見だ。
新鮮な野菜、果物、古着、アクセサリー、工芸品、民芸品などたくさんあって見どころ満載。
タスマニアには、全体的に可愛いものが多い。
私は数日、都会生活を楽しんだ。
映画を見に行ったり、ビリヤードなんてものを初めてしたり、買い物もした。
チャリダーでは、少しでも荷物を軽くして、体の負担を少なくする努力をあんなにしていたのに、一歩都会の生活に戻ると、たちまち、モノが増える。
色々考えさせられるところだ。
ホバートから、監獄の町で有名なポートアーサーにも行った。
ここは、監獄の中の監獄として、他の植民地に送られた囚人が新たな罪を犯すと「ぶち込まれた」ところだ。
拷問や理不尽な重労働なが日常茶飯だったらしい。
ここに1泊して、夜の幽霊ツアーみたいのに参加したのだが、英語が難しすぎて、周りの人が怖がって泣きそうなのに、私は全然平気だった。
それよりも寒さの方が堪えた。
ここに行ったのが、1996年4月10日だったのが、4月28日に「ポートアーサー、無差別発砲事件」が起こり、35人が亡くなった。
実はその事件の時は、もう私は、タスマニアを出ていたのが、母が受け取った手紙はタスマニアからだった。
相変わらず、電話もほとんどせず、手紙だけでのやりとりだったので、相当心配をさせてしまった。
本当に親不孝だったと思う。
こうして、自転車の旅は終わったが、まだ続きはある。
自転車旅行と同じくらい素敵な思い出をまだお話ししていないので、またお話ししたいと思う。
またねーーー!
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