【客室乗務員】過酷な訓練生編 5回シリーズ 第1回 いきなり崖っぷち!

客室乗務員

33歳の時、客室乗務員になるチャンスを得た。

前回の話

ちなみに、私の入った航空会社では、客室乗務員を「キャビンクルー」と呼んでいるので

ここでは、「クルー」と今後表記していきたいと思う。

日本採用組、記念すべき花の1期生は、全部で22人、うち男性1人だ。

既にクルー経験者は、5人、年齢層は24歳から35歳。私は、最年長の男性同期の次の年長者だった。

33歳でクルーになるのは、年かもなんて思っていたが、そんなの私の勝手な価値観でしかないということが、飛び始めてからわかった。

55歳デビューのオージー(オーストラリア人)クルーを筆頭に、40代デビューも結構いた。

また、前職も看護師、介護士、警察官、消防士、公務員、教師など様々な職種の人がいた。

男性もとても多い。

そして、90%(自己計算)がゲイだ。

オーストラリアってやっぱり多様性を認めてくれるいい国だなーなんて思った。

私は、生まれて初めてのホームシックにかかってしまって、結構重症だった。

同期は、訓練開始前にオーストラリアに慣れる為とか、準備とかで1週間前くらいから来ている人が多かった。

しかし、私は、前日に泣きながら到着して翌日から訓練に入ったので、キラキラした同期と違って、もう猫背でどよんとしていたと思う。

訓練は、6週間に及ぶ。

訓練期間中は、空港近くのホテルを会社が用意してくれる。

毎日、徒歩で訓練センターに通っていた。

平日の9時から17時。週末は、お休みだ。

これでよかったのか?と自問自答して気持ちがぐらついている私は、訓練生では1番落ちこぼれだった

私の年代なら、TBSで放送されていた、堀ちえみのスチュワーデス物語の「教官、私はドジでのろまな亀ですっ!!」というフレーズが浮かぶかもしれない。まさにこれが私だ。

このドラマでは、教官に恋をしてなんて話しだったが、私の教官は、オージーの女性2人だ。

恋話なんて全くない。

クルーの仕事で一番重要なのが、保安業務だ。

緊急事態になった時に、対応できるよう、機内にある備品や緊急着陸の際の手順など、電話帳くらいの大きさのマニュアルを渡され、訓練が終わるまでに覚えなくてはならない。

もちろん全て英語だ。

英語は、ニュージーランドで働いていた時に使っていたし、それなりには、できたはずだった。

ただ、訓練では、使ったことのない単語が多く、また、それに追い打ちをかけて、自分の精神が弱っているので、ちょっとわからないと不安になってきた。

また、私よりもずっと若い同期達が物おじせず、堂々とやっているのをみると、焦りが出て来る。

試験は、毎日で、80%以上できないと追試。

それも2回までしかチャンスはない。

安全第一だから、落第点の3回目の再試験の場合は、クルーになれずに日本に帰国となる。

私は、2回、再テストとなった。一瞬、日本列島が見えた。

チキンかビーフを聞くだけと思ってなめていた自分がバカだった。

ホームシックではあるが、こういう形で、日本に戻るのは、あまりにも不甲斐ない。

何よりも背中を押してくれた両親に申し訳ない。

これは、もうくよくよしている場合ではなくなってきた。

そんなわけで、17時に訓練が終わり、ホテルに戻ってからも勉強漬けになった。

復習のほかに、予習が大変だ。

教材を開けばこれまた、見慣れない単語でいっぱいだ。

減圧、乱気流になったことなど、日本語でもよくわからないのに英語

しかも、ホテルのネット環境があまりよくなかったので、ネットに頼れない。

睡眠時間も自然に減っていった。歯を食いしばって頑張った。

そんなわけで、サンサンと輝くスチュワーデス物語からかけ離れ、浪人3年目の後がない受験生みたいになってしまった。果たして、どうやってこれを乗り越えたのか!!

そろそろ着陸態勢に入りましたので、残念ながら本日はここまでとさせていただきます。

本日もご搭乗いただきまして、誠にありがとうございました。また次回のご搭乗心よりお待ちしております!

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コメント

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