21歳の時に1年、ワーキングホリデービザでバックパック1つでオーストラリアを旅した。
(前回の話↓。)
きっとアナタの中には、荷物や食事ってどうしてたんだろうって疑問が沸いている人もいるかもしれない。
というわけで、本日は、あなたの知らない私のバックパック旅行についてお話ししよう。
まず、どんな格好だったか、写真をみせるのが一番早いと思う。
これは、当時の写真ではないが、こんな感じだ。
バックパックの中身は、全季節の洋服、下着、シャンプー、ボディソープ、歯ブラシなどの日用品から水着、サンダルなどだ。
そして、1995年当時は、デジカメがなかったので、カメラとそれに付随するフィルムもたくさん持ち歩いていた。
日本は、フィルムが安かったので、大量に持っていったものの、オーストラリアの雄大な景色に吸い込まれるようにたくさん写真を撮ったので、すぐに足りなくなった。
写真も現像して持ち歩いた。
寝袋も途中で買った。
バックパッカーには、ブランケットやシーツも綺麗なところもあるが、怪しいところもある。
あと、色々な人と泊まると、それぞれ体温が違うので温度調整が大変だ。
私は、寒がり屋なのだが、西洋人は、平均体温がアジア人より1度ほど高いと言われている。
37から38度が平熱だ。
そんなわけで、寝袋があれば、何かと安心なわけなのである。
そして大事なのが食料だ。
私がワーホリ用に貯めたお金は、100万円。
ラッキーなことに、その当時、オーストラリアドル1ドルが60円まで下がった。
客室乗務員でオーストラリアに復活した2007年は逆に100円になった。
つまり、100万円持って、60円だと17,000ドルの所持金になるが、
100円だと1万ドルの所持金でしかなくなる。
この7000ドルの差額は、非常-----に大きい。
というわけで、予想以上に、お金持ちだったが、やはり1年という長丁場。
この先、どうなるかわからない。
なので、食費の節約をしながら、しかし食事は大事なので、いつもバックパッカーのキッチンでちゃんと作った。
キッチンには、たいてい、鍋やフライパン、食器など、ほぼ揃っている。
私は、食料品のバックを持ち歩いて、移動していた。
その中には、料理に必要なものが入っている。
例えば、塩、こしょう、醤油などの調味料。
また、お米、食パン。そして、野菜や果物。これは、計り売りなので、1個から買えるので便利だ。
野菜や、牛乳など必要であれば、共有の冷蔵庫に入れておく。
名前を書いていれておくのだが、入れておいたチョコレートが減っていたりすることもある。
かくいう私も、数回、調味料がどうしても足りず、手を合わせて「いただきます」と拝み、少々拝借したこともある。
なので、常習犯ではない限り、持参したものが多少減っていても、私も多めに見ることにしていた。
キッチンは、色々な国の人がいるので、世界のキッチンショーだ。
ヨーロッパ諸国のワーホリ族は、肉焼いて、塩コショウで、ステーキ!みたいに簡単に作る人が多い印象だ。
あと、朝食にオートミールとかよく食べているのだが、私は、どうも小さい時に飼っていた、文鳥のゴン太とウメ子の餌を思い出してしまい、魅かれなかった。
日本人のワーホリ族で仲良くなると、皆で一緒に作って食べることもある。
「シェア飯(めし)」と呼んでいた。
一番印象に残っているシェア飯がある。
ある日、西のポートヘッドランドという小さな町に泊まった。
そこに、12人ほど日本人が泊まっていた。
オーナーのピーターは、親日家で、釣りが大好きなので、自分の本格的な釣り船を海に出してくれた。
ちなみに海は、インド洋だ!
生まれて初めての釣り!
そこで、イセエビを皆で釣った。
メンバーの中に、うっちーという日本でシェフをした人がいた。
そこで、うっちーが、「今日は、俺が腕を振るってフルコースを作ろう!」といい、皆に振舞ってくれたのである。
イセエビを蒸したり、ポン酢和えしたり、その他、ステーキも焼いてくれた。
それは、私の人生の中でも上位に入る美味しい食事だった。
また、ガーリックトーストなんていうのもこのワーホリで覚えたメニューだ。
フランスパンにバターとガーリック、パセリを載せてトースターで焼くなんてしゃれたメニューは、我が家にはその当時なかったので、びっくりだった。
しかし、ワーホリから帰ってきて、私が家族にガーリックトーストを振舞うと、ガーリックが強すぎたようで、クレームになった!
お米は、オーストラリア米で日本米に似た美味しいものがあったので、重宝していた。
スーパーは、WoolworthとColesという二大巨頭だ。たいていの町にあった。
私は、TIMTAMとTIMESというチョコレートのお菓子が大好きだった。
節約のため、2つのスーパーに行き、たった、10セント(6円)安ければ、そのスーパーが
遠くても行っていた。
そんなわけで、食も充実したので、1年たったら7kg ほど太った。
おまけに、タスマニアを自転車で最後にまわったので、太ももが競輪選手みたいに、ぶっとくなった。
更に色黒が進み、背も高くて、この人、何人だろう?って雰囲気で日本に帰国した。
ある日、ワーホリのノリのまま、怪しいTシャツとビーチサンダルに、カリメロみたいな帽子を被って銀座線に乗った。
そしたら、満員電車なのに私の周りだけ、人が寄り付かず、すいている変な現象が起きた。
最初はどうしたんだろうって、何も考えなかった。
そのうち、数か月が経ち、私の格好も「日本人」に戻っていた。
ある日、電車に乗ったら、変な恰好の人が座っていて、私は、無意識にその席から離れた座席を選んだ。
そして、はっとした!
いつかの私の周りがすいていたのって、これだったんだ!!と。。
というわけで、本日のお話しは、おしまい。
またねーー!
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