東京の今年の桜のピークは、もう過ぎた。
日本の桜を愛でる、お花見って素晴らしい風習だと思う。
5カ月ほどの暗くて、寒い冬が終わる頃、ある日、緑の小さな目が、「ぴよっ」って感じで出てくる。
そして、「パッ」とある日、小さなピンクのお花が咲く。
またしばらくすると、ピンクのドレスを着せたような華やいだ装いになる。
いつも俯いて歩いている人ばかりなのに、この時ばかり、人々は、花に目をやり、上を見上げる。
空を見る人が多いと、なんとなく町も明るくなる。
桜が満開になり、それからハラハラと散っていく姿は、人生と重なり合わせるという日本独特の美学がある。
外国のお友達にそれを説明したら、
Oh! Gosh! What a sad,, ぎょ!なんと悲しい
と言われてしまった。
ちなみに外国人にも桜は大大大人気だ。
桜の開花に合わせて日本に来たいという問い合わせを物凄くもらうが、これが本当に予測が難しく、確約できないのが痛いところだ。
Good luck!と無責任な応援をすることくらいしかできない。
自分も年齢を重ねていくたびに桜の良さを更に感じている。
年を重ねるってこういうことなんだなって思う。
若い時は、花より団子だった。
桜も実に日本の色々なところで見た。
都内や、関東近郊は、もちろん、オーストラリアでキャビンクルーをしていた時に、日本線に桜の時期に飛べば、疲れていても、京都、大阪などにも足を運んだ。
20歳の4月に国内添乗員を始めてすぐに、桜で有名な長野の高遠の花見日帰りバスツアーをアテンドした。
まだ全然、仕事に慣れてなくて、大渋滞の中、高遠に到着する直前でバスが進まなくなった。
ドライバーさんから、「歩いた方が早い」と言われ、ガイドさんと一緒に50人のお客さんを引き連れて桜を目指して歩いた。
その間に、私は、途中立ち寄る、レストランや、お土産屋さんに時間変更などの連絡をしなくてはならない。
その当時、携帯なんてなかったから、公衆電話を探す。
でも他の添乗員さんの長蛇の列。
頭がパニックだが、とりあえず、お客さんを解散させて、集合時間まで、ひたすら業務に追われて、こなした。
お客さんの集合時間が近くなったが、私自身、肝心の高遠の桜をまだ見てないことに気が付いた。
「もう桜なんてどうでもいい。。」なんて疲労困憊しながら、とぼとぼ歩いていたら、高遠の桜に囲まれていた。
畑の丘の上のようなところから眼下に町が見えて、周りは、360度、ピンクの満開の桜。
太陽が当たり、眩しかった。
一瞬、「あの世」ってこんなところかもって思うほどだった。
うわー-。感動で涙が出そう。
すると、
「添乗員さん、トイレどこかしらー」
というお客さんの一声で、一気に現実に引き戻された。
ゆっくり桜を愛でることはできなかったが、それにしても見事な桜だった。
もう1つ思い出深いのは、青森の弘前城の桜だ。
私は、ある4月下旬に、過労とストレスがたたって、急性胃腸炎になり、夜中に救急車に運ばれたことがあった。
メンタルもちょっとやばかったので、お休みをもらった。
本当は、家で静養すべきだったのだが、いつもは、ゴールデンウィークに満開を迎える弘前城の桜が、「明日が満開ですね。」というニュースの中継に私は、釘付けになった。
気が付いたら、翌日、弘前に私はいた。
弘前城のすぐ近くのホテルに泊まり、丸2日、飽きもせず、桜をひたすら、朝から晩まで眺めた。
散った桜が、お堀に落ちた様は、ピンクの絨毯を敷き詰めたようで、圧巻だった。
どんな病院の薬よりも効果があった。
体調が一気に回復した。
でも、会社の人に弘前城行ったなんて絶対言えない。
墓場までこの秘密は持っていくつもりだ。
今年も桜を楽しんだ。
日本に帰国して10年。
この時期は、毎年、通勤時間を1時間早めて、会社の近くの桜を見ながら、朝、散歩をしたり、帰りに寄り道して、夜桜を見るのが習慣だ。
今年は、平日に休みをとって、朝早く出発して、埼玉県の幸手権現堂桜堤の桜を見に行った。
ここは、菜の花と桜のコラボレーションで有名だ。
約1000本のソメイヨシノが1kmにわたって咲き誇る。
桜のトンネルが長ー---くて、菜の花の絨毯が美しい。
桜餅を食べながら、空を見上げた。
ちょうど満開で、桜がパンパンに張った、風船のようにたわわになっていて、お雛人形に飾る、ぼんぼりのようでもあった。
違う種類のさくらが混じると、ピンクのグラディェーションが美しく、気が付けば2時間が経っていた。
桜が咲いている間は、出来るだけ「風よ吹くな!」と思うのだが、だいたい毎年、開花宣言してから雪や雨が降ったりする。
「やめてー-」って本気でお願いしたくなる。
東京は先日、かなりの強風と大雨だった。
皇居周辺を傘がひっくり返るほどの風の中、歩いて、今年最後の桜を夕方楽しんだ。
満開だった桜が、物凄い勢いで花吹雪として舞う。
「あー、また来年かー」ってちょっとしんみりだ。
一緒に嵐の中歩いた友人は、もうすぐドイツに引っ越す。
2歳になる彼女の娘は、姪っ子みたいなものだし、アメリカ人の旦那さんも結婚前からずっと知っているから、私にとって、なんだか、家族が海外に行っちゃうみたいで寂しい。
今までは、自分が海外に引き寄せられるように行く方だったが、「いってらっしゃい」て言う方ってせつないなって今さらながら、両親の気持ちを思ってしまった。
そんな両親と最後に見た桜は、その当時両親が住んでいた、月島の隅田川沿いの桜だ。
ここには、毎年、どんなことがあっても訪れて、毎回のように、両親を写真に収めた場所と同じところで写真を撮る。
2009年の4月、私は、病気の母とどうしても桜を見たかったので、オーストラリアから、キャビンクルーとして成田線をリクエストして飛んだ。
母は、その年の5月末に亡くなっているのだが、恐らく本人がもう最後の桜と悟っていたようで、はらはらと舞う桜を愛おしそうにみていた。
それを母の事が大好きな父が泣きそうな顔で見ていた。
私も涙を隠すので必死だった。
ピンクのコートを桜にあわせてコーディネートしていた母の姿を毎年思い出しながら、胸がきゅんとなる。
ここで桜を見ることは、両親の供養でもある。
年齢と共に、桜を愛でる意味が、ちょっと切ないものになってくる。
桜がはらはらと舞い散るからちょっとセンチメンタルになってしまった。
来年もまた綺麗な桜が見れますように。
ウクライナの人々にも見せてあげたいなと叶いもしないことを思ってしまった。
おしまい。
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